鳩摩羅什(くまらじゅう、くもらじゅう)



鳩摩羅什(くまらじゅう、くもらじゅう、サンスクリット:Kumārajīva, कुमारजीव、クマーラジーヴァ)、350年 - 409年、一説に344年 - 413年とも)は、中国六朝時代の訳経僧(やっきょうそう)である。略称は羅什(らじゅう)または(じゅう)。玄奘(げんじょう)と共に二大訳聖と言われる。また、真諦(しんだい)不空金剛(ふくうこんごう)を含めて四大訳経家とも呼ばれる。三論宗(さんろんしゅう)成実宗(じょうじつしゅう)の基礎を築く。




略歴

§ 350年 インド身の鳩摩炎(サンスクリット:Kumārayana)を父に、亀茲(クチャ)国王の妹のジーヴァカ(サンスクリット:Jīva)を母として亀茲国に生まれる。

§ 356年 母と共に出家。

§ 360年代 原始経典や阿毘達磨(あびだつま)仏教を学ぶ。

§ 369年 受具し、須利耶蘇摩(すりやそま)と出会って大乗に転向。主に中観派の論書を研究。

§ 384年亀茲国を攻略した後涼(こうりょう)呂光(りょこう)の捕虜となるも、軍師的位置にあって度々呂光を助ける。以降18年、呂光・纂(りょさん)の下、涼州(りょうしゅう)で生活。

§ 401年後秦の姚興(ようこう)に迎えられて長安に移転。

§ 402年姚興の意向で女性を受け入れて(女犯、にょぼん破戒し、還俗(げんぞく、僧侶が在俗者、俗人に戻ること。)させられる。以降、サンスクリット経典の漢訳に従事。

§ 409年逝去。

臨終の直前に「我が所伝(訳した経典)が無謬(むびゅう)ならば(間違いが無ければ)焚身(ふんしん)ののちに舌焦爛(しょうらん)せず」と言ったが、まさに外国の方法に随い火葬したところ、薪滅し姿形なくして、ただ舌だけが焼け残ったといわれる(『高僧伝』巻2)。


訳出した経典

主なもの。

§ 『坐禅三昧経』(ざぜんさんまいぎょう)3巻

§ 仏説阿弥陀経(ぶっせつあみだきょう)1巻

§ 摩訶般若波羅蜜経(まかはんにゃはらみつきょう)27巻(30巻)

§ 妙法蓮華経(みょうほうれんげきょう)8巻

§ 維摩経(ゆいまぎょう)3巻

§ 大智度論(だいちどろん)100巻

§ 中論(ちゅうろん)4巻



一部の経典において、大胆な創作や意訳の疑いが指摘されるものの、彼の翻訳によって後代の仏教界に与えた影響は計り知れない。なお、玄奘三蔵による訳経を「新訳」(しんやく)と呼び、鳩摩羅什から新訳までの訳経を「旧訳」(くやく)それ以前を古訳と呼ぶ。