往還回向(おうげんえこう)
曇鸞(どんらん)は、『浄土論註』(じょうどろんちゅう)巻下において、「往相」(おうそう)、「還相」(げんそう)の二種の回向があると説いた。
§ 「往相回向」とは、「往生浄土の相状」の略で、自分の善行功徳を他のものにめぐらして、他のものの功徳として、ともに浄土に往生しようとの願いをもととして説かれる。
§ 「還相回向」とは「還来穢国の相状」の略で、浄土へ往生したものを、再びこの世で衆生を救うために還り来たらしめようとの願いを言う。この利他のはたらきも、阿弥陀仏の本願力の回向による。
浄土真宗においては、親鸞の「末法の衆生は、回向すべき善行を完遂(かんすい)しえない。」という自己反省によって、法を仰ぎ、法の力を受け取ろうとする。
浄土への往生(往相)も、阿弥陀仏の本願力によるのであって、阿弥陀仏がたてて完成した万徳具備の名号(みょうごう)のはたらきによるとして、名号を回向されるという。
よって往相・還相ともに阿弥陀仏の本願力として、仏の側から衆生に功徳が回向されるものとする。これを「他力回向」という。
具体的には、江戸時代讃岐の庄松(しょうま)という妙好人(みょうこうにん、浄土教の篤信者のこと)が「私が捨てた念仏を喜んで拾う者がいる」と言うように、称名の声を聞いた時に、浄土からこの我々に働きかけているすがたと感じて、それに応えて称名をする姿を言う。