末法(まっぽう)




末法(まっぽう)とは、仏教で、仏の教のみが存在して悟りに入る人がいない時期のこと。または、釈迦の死後1,500年(または2,000年)以降の時期のことである。前の時代を像法(ぞうぼう)、さらに前の時代を正法(しょうぼう)という。正・像・末の三時(さんじ)のひとつである。



闘諍堅固(とうじょうけんご) 修行僧らが互いに自説を主張して譲らず、争いが盛んな状態。



白法隠没(びゃくほうおんもつ)、 白法(びゃくほう、悟りの法の意で釈尊の仏法自らを指す)の利益が ことごとく隠没(おんもつ)する時代である、としてい



仏の在世から遠く隔たったため、教法が次第に微細・瑣末(さまつ、重要でないこと、小さなこと)になり、僧侶が戒律を修めず、争いばかりを起こして邪見がはびこり、釈迦の仏教がその効力をなくしてしまう時期とされる。

日本では最澄著の『末法燈明記(末法灯明記、まっぽうとうみょうき)により、1052年永承7年)が末法元年とされている。なお『末法燈明記』は、日蓮等の鎌倉仏教の多くの祖師は最澄の著述だと定めたが、近年の仏教学では否定視される向きも多い。

また釈迦入滅年代は諸説あり、1052年永承7年)に末法に突入したという説も近年では否定されつつある。



また、過去現在未来と三世に渡って一切の衆生の済度(さいど、救うこと)を説く仏の教えが、末法の時に至り救えなくなる、というのは大きな矛盾であるとして、「末法」は、仏教における臨機応変な段階的説法の一過程に過ぎない、という説と共に、涅槃経でも末世における救いを説いている事などから、末法は畢竟(ひっきょう、結論付けること)して否定されるものである、という説が近年になって登場している。




三時の数え方には諸説あり、一説には、

· 正法 - 千年(1,000年間)

· 像法 - 千年(1,000年間)

· 末法 - 万年尽未来際(じんみらいさい)(10,000年オーバー)

とされ、多くはこの説をとっている。