本尊(ほんぞん)
本尊(ほんぞん)には、次の意味がある。
§ 仏教寺院や仏壇などに最も大切な信仰の対象として安置されたり、お守りとして身辺に常時携帯される、仏や菩薩などの彫刻・絵画・曼荼羅(まんだら)・名号などのこと。
§ 仏教、もしくは仏教以外の宗教において信仰の対象として大切に扱われるもののこと。
§ 仏教、もしくは仏教以外の日常生活において、ものごとの張本人や端倪(たんげい、あらかじめ推測すること。)すべからざる人物、大切にすべき物などのこと。
ここでは、仏教の用語としての本尊について記載する。(他の意味は、仏教の用語としての本尊の転用である。)
本尊の由来
本尊という名称と概念は、大毘盧遮那成仏神変加持経(大日経)の説くところに由来する。
本尊の身に亦た二種有り。所謂(いわゆる)清浄と非清浄なり。彼の浄身を証すれば一切の相を離れ、非浄・有想の身は、則ち顕・形の衆色有り。
彼の二種の尊形は、二種の事を成就す。有想の故に有相の悉地(しっち、サンスクリットsiddhi、究極の境地なり)を成就し、無想の故に随て無相の悉地を生ず。 説本尊三昧品第二十八
日本では鎌倉仏教の時代に、日蓮によって以下の3つの意義を要件として教義とするようになる。
§ 根本尊崇(こんぽんそんすう)。「世界におけるあらゆる物事の根本」として尊ばれ崇められるべきもの。
§ 本来尊重(ほんらいそんちょう)。「私たち自身の生の本来的なありかた」として尊重されるべきもの。
§ 本有尊形(ほんぬそんぎょう)。無限の過去からもともと有ったのだが今までは隠れていた「尊い存在の姿・かたち」が顕現したもの。
これは、日蓮の最もライバルとして意識していたと思われる空海の興した真言宗への対抗意識のなせる業ともいわれている。日蓮宗系各宗派の立てる本尊である大曼荼羅の字体は、真言宗自家薬籠中の梵字(悉曇文字)への近接が窺われる。