識(しき)
識 (しき、サンスクリット語:विज्ञान(vijJaana)、विज्ञप्ति(vijJapti)、परिज्ञान(parijJaana))とは、 「了別」の意味の仏教用語である。認識対象を区別して知覚する精神作用を言う。
この語は、vi(分析・分割)+√jJaa(知)の合成語であって、対象を分析し分類して認識する作用のことである。釈迦在世当時から、この認識作用に関する研究が行われ、さまざまな論証や考え方が広まっており、それぞれの考え方は互いに批判し合いながら、より煩瑣な体系を作り上げた。
しかし、大乗仏教全般で言うならば、分析的に認識する「識」ではなく、観法(かんぽう)によるより直接的な認識である般若(はんにゃ、プラジュニャー(prajJnaa)、パンニャ(paJJna))が得られることで成仏するのだと考えられるようになって重要視された。
識薀 (vijJaana skandha)
人間の構成要素を五蘊(ごうん)と分析する際には、識薀(しきうん)としてその一つに数えられる。この識は、色・受・想・行の四つの構成要素の作用を統一する意識作用をいう。事物を了知・識別する人間の意識に属する。
また古い経典には、識住(vijJaanasthiti)と言われて、「色受想行」の四識住が識の働くよりどころであるとする。この場合、分別意識が、色にかかわり、受にかかわり、想にかかわり、行にかかわりながら、分別的煩悩の生活を人間は展開しているとする。
しかしながらいずれも、人間は「五薀仮和合」といわれるように、物質的肉体的なものと精神的なものが、仮に和合し結合して形成されたものだと考えられており、固定的に人間という存在がある、とは考えられていない。