帰依(きえ)
帰依(きえ、Skt:zaraNa、pl(パーリ語):SaraNa)とは、仏教用語で、拠り所にするという意味。「三宝」に「帰依」、つまり仏教徒になるという意味で最も多く使われる。アブラハム系のキリスト教、ユダヤ教、イスラム教における「信仰」と区別される。
サンスクリットの「zaraNa शरण」は、保護所・避難所という意味である。中国語には「依帰」という言葉が『諸経 』(しょきょう)に出てくる。これは「頼りにする」という程度の意味である。
大乗の一部の宗派では帰依は、勝れたものに対して自己の身心を帰投して依伏信奉することをいう。上座部仏教でいまだに釈迦の原語に近いパーリ語を使用していることともあり帰依は元々の意味でその内容が説かれ盲信との区別が特に強調される。「自帰依自灯明、法帰依法灯明」(パーリ語:attadiipo attasaraNo dhammadiipo dhammasaraNo)という場合の「帰依」は、「我は(仏)法を拠り所にする」という意味である。信じるという言葉はパーリ・サンスクリット語では別。
空海は「仏法の殊妙を聞かば、必ずよく帰依し信受すべし」と『十住心論 』(じゅうじゅうしんろん)に述べている。
仏法僧の三宝に帰依することを、三帰依(さんきえ、パーリ語:tisarana、サンスクリット語:tri-'sara.na)といい、これは仏道に入る儀式にも用いられ、しばしば音楽法要にも使われる。
§ 南無帰依仏
§ 南無帰依法
§ 南無帰依僧
また、『華厳経』浄行品第7にある、以下の経文を「三帰礼拝文」とする場合もある。
§ 自帰於仏 当願衆生 体解大道 発無上意
§ 自帰於法 当願衆生 深入経蔵 智慧如海
§ 自帰於僧 当願衆生 統理大衆 一切無碍