初期仏教(しょきぶっきょう)



初期仏教(しょきぶっきょう)とは、根本分裂によって部派仏教に分かれる前の、釈迦が生きていた時代を含む初期のおよそ150年から200年の間の仏教をいう(三枝充悳(さいぐさ みつよし)『仏教入門』《岩波新書》、1990年)。この時代の仏教を原始仏教または根本仏教とも呼ぶことがあるが、「原始」・「根本」という言葉にはさまざまな価値的な判断の意味が含まれるため、ここでは中立的な時間的に先であることを示す「初期仏教」という用語を使用する。



仏教は、約2500年前(紀元前5世紀)にインド北部ガンジス川中流域で、釈迦が提唱し、発生した。発生当初の仏教の性格は、同時代の講師などの諸子百家ソクラテスなどのギリシャ哲学者らが示すのと同じく、従来の盲信的な原始的宗教から脱しようとしたものと見られ、とくに初期経典からそのような方向性を読み取れる。

釈迦が死亡(仏滅・ぶつめつ)して後、直ぐに出家者集団(僧伽、サンガ)は個人個人が聞いた釈迦の言葉(仏典)を集める作業(結集)を行った。これは「三蔵の結集」(さんぞうのけちじゅう)と呼ばれ、マハーカッサパ(摩訶迦葉尊者)が中心になって開かれた。仏典はこの時には口誦によって伝承され(このため当初は「多聞」(釈迦の教えを多く聞いた)が褒め言葉になっていた)、後に文字化される。釈迦の説いた法話を経・律・論と三つに大きく分類し、それぞれ心に印しているものを持ち寄り、仏教聖典の編纂会議を行った。これが第一回の三蔵結集である。



文書化された時代には、初期経典群を分析すると、既に釈迦の教えが様々に理解されていたことが分かる。 例えば、最初期経典『スッタニパータ』も今までは釈迦の教えに近いとの説が強かったが、「これは隠者文学でありインド伝統的な思想の傾向が強い、本来の釈迦の教えは、伝統的な僧集団が伝えた相応部経典の方に含まれる」という説も起こっている。

釈迦の死から約100年後のアショーカ王(前3世紀)のころ、仏教教団は保守的な上座部と進歩的な大衆部とに分裂した。これを根本分裂と呼び、それ以前を初期仏教、以後を部派仏教と呼びならわす。

さらに釈迦の死後約500年経った西暦紀元前後になると、「大乗仏教」と自ら宣言をする集団が現れる(「大乗」は大いなる救いの乗り物の意)。大乗仏教は論敵とした説一切有部などの部派仏教を「専門的な煩瑣な哲学論議に陥ち入り、自己の解脱を中心にしている正定仏教」(「小乗」は自分しか救わない小さな乗り物の意)として批判し、多くの新しい経典を生み出していった。これも大乗仏教の立場からは「釈迦の本来の/当初の教え」に戻る運動として自覚し信仰されていた。