法華経における幸福


法華経(ほけきょう、ほっけきょう)の第二章にあたる「方便品」(ほうべんぼん)において、「衆生を饒益(にょうやく慈悲の心をもって有情に利益を与えること。また、その利益)し安楽ならしめたもう所多き」、つまり全ての人々の真の幸福と安楽のために法華経は説かれたのだ、とされている。 別の言い方をすると、一切衆生の成仏が、がこの世に出現した最大で究極の目的である、としているのである。そして『法華経』の第十五章にあたる従地涌出品(じゅうじゆじゅっぽん)には、釈迦如来が説法をしていたときに大地が割れ、そこから無数の菩薩が涌き出てくる情景が描かれている(この菩薩を「地涌の菩薩(じゆのぼさつ)」と呼ぶ)。これらの菩薩は、釈迦亡き後の末法(まっぽう)の世において仏法を護持(ごじ・大切に守り保つこと)し、広めてゆく存在であるが、これは他でもない我々普通の人間のことをあらわしており、民衆ひとりひとりが立ち上がり、他の人々までも幸せにしてゆく情景がオペラさながらの手法で描かれているのである。宮沢賢治は法華経の学びから「世界ぜんたいが幸福にならないうちは個人の幸福はありえない」(「農民芸術概論綱要」序論)を得た。