慈悲(じひ)
慈悲(skt:maitrī, pāli:mettā)とは仏教用語で、他の生命に対して自他怨親のない平等な気持ちを持つことをいう。一般的な日本語としては、目下の相手に対する「あわれみ、憐憫(れんびん・れんみん)」(mercy)の気持ちを表現する場合に用いられる。
慈悲と並べて使用されるが、本来は慈(いつくしみ)、悲(あわれみ)と、別々の単語である。「慈悲」は(仏教用語として)一般に、「慈しみ」と「憐(あわ)れみ」を区別せずに両方を含んだ意味で使われ、あまり厳密ではない。
アビダルマ教学においては、厳密に「慈・悲・喜・捨」(じ・ひ・き・しゃ)に分別され、四無量心(しむりょうしん)、四梵住(しぼんじゅう)とも呼ばれる。
§ 慈(skt:maitrī, pāli:mettā) - 「慈しみ」、相手の幸福を望む心。
§ 悲(skt,pāli:karunā) - 「憐れみ」、苦しみを除いてあげたいと思う心。
§ 喜(skt, pāli:muditā) - 「随喜」、相手の幸福を共に喜ぶ心。
§ 捨(skt:upekṣā,pāli:upekkhā) - 「落ち着き」、相手に対する平静で落ち着いた心。
慈しみ(慈)と憐れみ(悲)
サンスクリット語の「マイトリー(maitrī)」は、「ミトラ」(mitra)から造られた抽象名詞で、本来は「友情」「友人」の意味である。しかも、ある特定の人に対し友情をもつのではなく、あらゆる人々に平等に友情をもつことをいう。
次に、サンスクリット語の「カルナー(karunā)」は「抜苦」「憐れみ」というのであるが、その原意は「呻き」(うめき)にあるという。大乗仏教においては、この他者の苦しみを救いたいと願う「悲」の心を特に重視し、「大悲」(mahā karunā)と称する。
これは、キリスト教などのいう、人々への憐憫の思いではない。仏教においては一切の生命は平等である。それゆえ、怨親なく相手の幸福を願う心こそが、人間の目指すべき理想であるというのが仏教の思想である。