初めて経営者セミナーに参加したとき、そこで紹介された
井村和清さんの詩を聞いた時
溢れる涙をこらえきれませんでした。
その後、何度同じ詩を聞いても
今もなお涙が溢れます。
どれだけ、何事もない当たり前の毎日が
当たり前ではないのかを忘れず
感謝して生きていきたいと思っています。
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「あたりまえ」 昭和54年1月1日新年の贈り物(井村和清)
あたりまえ こんなすばらしいことを、
みんなはなぜよろこばないのでしょう
あたりまえであることを
お父さんがいる、お母さんがいる
手が二本あって、足が二本ある
行きたいところへ自分で歩いていける
手をのばせばなんでもとれる
音がきこえて声がでる
こんなしあわせなことがあるのでしょうか
しかし、だれもそれをよろこばない
あたりまえだ、と笑ってすます。
食事がたべられる
夜になるとちゃんと眠れ、そして又朝がくる
空気を胸いっぱいにすえる
笑える、泣ける、叫ぶこともできる
走りまわれる
みんなあたりまえのこと
こんなすばらしいことを、
みんなは決してよろこばない
そのありがたさを知っているのは、
それを失った人たちだけ なぜでしょう あたりまえ
『飛鳥へ そしてまだ見ぬ子へ』より