チャララ☆ -4ページ目

チャララ☆

ウリハッキョとウリハッキョを通して育つ心と絆の話

アンニョンハセヨ、チェサミですにゃ
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昨日はアッパの仕事がお休みで、晩ご飯は鉄板焼き&お好み焼きでしたもんじゃ焼き

京都で、お好み焼き屋さんの激戦区の九条生まれの九条育ちのアッパは、
幼い頃から家でお好み焼きを焼くのが普通だったらしいトトロ
私は、結婚するまで家でお好み焼きを焼いて食べた事がなく(外食が普通と
思ってた)、アッパのお蔭で美味しく安く家でお好み焼きを食べられるように
なりました自慢

嫁の私が言うのも何ですが、アッパのお好みは本当に美味しいですakn

家庭訪問はいつも、アッパの休みに合わせてソンセンニムたちに鉄板焼きから
お好み焼きまでフルコースで振舞いますキャ

そして、お好み焼きの次の日の弁当は必ずお好み焼き!!桃
子どもはアッパのDNAを受け継いでか、何日続いてお好みを食べても大丈夫らしいカスパー03
ま、お蔭でその日の朝はオンマも楽なので一石二鳥ですハート

4月から、お好み焼き弁当が一つ増えました。
埼玉から単身赴任しているソンセンニムの分ですにっこり

 

今朝も特大お好み焼きを届けましたピース

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ハッキョから『こるむ』(第10号)が配布されました。


『こるむ』とは在特会らによる朝鮮学校に対する襲撃事件裁判(略称:朝鮮学校襲撃事件裁判)を
支援する会通信...です新聞
~大人たちの責任ある
【歩み】(걸음-こるむ)が、子どもたちの未来をはぐくむ【こやし】(거름-こるむ)
となる為に~と付けられたタイトルです足跡

昨日に引き続き、この中で紹介された龍谷大学法科大学院教員 金尚均(キム・サンギュン)さんの
裁判報告支援集会でのお話を掲載しますクローバー

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在特会裁判をみる目とヘイトクライム
                         支える会共同代表、龍谷大学法科大学院教員 金尚均

1.襲撃事件から2年と4ヶ月を経て、2.朝鮮学校に通う子どもの親として

(・・・続き)
3.法律の研究者として

2つ目の、研究者としてということですが、あの彼らが学校ならびに学校の子どもたち、そして私たち
に投げかけた表現、差別発言に関して、私自身が法律の勉強をしてきて一番無力だったなと思うの
が、あれが犯罪ではないということなんですね。刑事裁判ではあくまで学校法人の朝鮮学園と京都
朝鮮第一初級学校、いわゆる「法人」としての「人」に向けられた、侮辱罪と威力業務妨害罪で、4人
の被告は刑事裁判で有罪判決を受けたのです。ここで注意しないといけないのは、侮辱罪というの
は刑法第231条にある罪なんですが、日本の刑法の犯罪では一番軽い罪なんです。窃盗罪でも一
番上の罪が10年の刑を予定されている。それに比べると、侮辱罪は拘留・科料しか科せられない。
非常に軽く評価されている犯罪なんです。
何度も言いませんけれども、「キムチくさい」とか「スパイ養成学校」と言われたことが、具体的には
犯罪にならないことに、私自身としては、漠然とした無力感と漠然とした疑問を抱きました。なぜこれ
が犯罪ではないのかと。これについて、「ヘイトクライム」、とりわけ差別発言を刑法なり他の法律で
処罰する法律をつくっている国々がじつはあるということが、だんだんとわかってきました。
ここで、単に個人に対して名誉毀損する発言や侮辱する発言を問題にするだけでなく、京都朝鮮第
一初級学校に通っている子どもたち、そして先生たちに対して直接向けられたあのような差別発言
では、具体的には何が害されているのか、ということを考えないといけないと思います。
それに関しましては、この裁判では、被告の弁護士が毛利透さんという憲法の先生の議論を出して
います。そこでは、「表現の自由」もしくは「公正な言論」というようなことが言われています。毛利先
生によれば表現の自由とはなぜ必要かというと、日本社会は民主主義のもと、民主政治を国の根
本的な基盤にしている。この根本的な基盤をより実質化ないしは保障するものとしてあるのが、「表
現の自由」なのだ。だから、表現の自由と言うのは、日本社会が民主主義社会である限り、絶対的
に守らなければならない、と毛利先生は言われているわけですね。そこで被告の弁護士も、被告の
彼らが言った差別発言も民主主義の上で根本的に重要な「表現の自由」の一環なんだと述べてい
ます。私は、それを逆手に取るようなかたちでヘイトスピーチを処罰するべきなのではないかと思い
ます。
彼らの差別発言は、何を、朝鮮学校の子どもたちならびに先生たちに対して傷つけたかというと、
朝鮮人・韓国人とうかたちで、あるひとつの民族に属する人たちの尊厳、もっと言えば、この社会に
おける平等性を害したのだと思います。まぜ、この平等性というものを害したか、平等性を害すること
が問題なのかというと、先ほどの毛利先生が言うように、民主政治の基本、根本的な基盤、ないしは
それを保障するするのが「表現の自由」です。また、そのような民主政治の根本基盤であるもうひとつ
のものが、「平等」「法の下の平等」だと思うんですね。まさにそのような「表現の自由」に名を借りて
社会における平等性を害するものが、彼らの差別発言の根本的な問題だと思います。
このように、単に個人だけでなく、集団ないしはある民族に属する人々に対して向けられた表現行為、
差別発言に対しては、まさにそれは、社会における平等性、簡単に言えば、「人を人としてみない」と
ころに大きな問題がある。それは個人だけでなく集団に向けられた場合にも言えると考えます。こう
いった点に私は、在特会の人びとが行ったヘイトスピーチの問題性を感じています。

4一人の在日朝鮮人として

最後に、一人の在日朝鮮人としてこの事件をどうみるか。現在、大阪の橋下市長が大阪府にある朝
鮮学校の補助金をすべて止めています。その根本的な理由に、「朝鮮民主主義人民共和国が不法
国家であるから、それとおつきあいしている朝鮮総連の傘下にある朝鮮学校にはお金を渡しません
よ」と言っています。ここで問題なのは、「不法国家」という概念なんですね。共和国は「不法国家」な
のか、ということです。
これはどういうところから話が出てきたのか。橋下さんがわかっているかどうかわかりませんけれども、
ドイツが再統一しましたよね。そのとき旧西側から、「過去の清算をしないといけない」という話になっ
たんですね。昔の秘密警察の人びとや、当時の首相であったホーネッカーに対する処罰という問題が
ありました。
とりわけ一番現実に問題になったのは、東と西の国境がありますよね。そこに国境の警備兵の人たち
がいます。そして、東ドイツから西ドイツに脱出しようとする人がたくさんいました。東から西へ脱出しよ
うとした人たちを警備兵たちは、服や体を引っ張ったり、ないしは拳銃で撃つ、射殺するということがあ
ったんですね。
当時の東ドイツでは国民が西に脱出する、これは国家的には一番重い犯罪とみなされていました。警
備兵の人は、逃げないように暴行したり、ひどいときにはピストルで撃つということを行いました。これは
当時の東ドイツの法律では「適法」だったのです。むしろそれは、勲章ものだったのです。それが、ドイ
ツが再統一してから、警備兵の人たちが殺人罪で刑事告訴されるに至りました。それで実際に殺人罪
で有罪判決を受けたのです。
警備兵たちは職務の一環として行ったのに、なぜ殺人罪に問われるのか。そのとき、ドイツの裁判所
は非常に困りました。そこで出てきたのが、当時の東ドイツそのものが、当時の西ドイツから見ると「不
法な国家」であった。そもそも正当性を持つ国家ではなくて不法な国家であったから、その不法な国家
で作られた法律や制度はそもそも無効、不法。だから東ドイツの法律で作られた警備兵が逃げ出す人
たちをピストルで銃殺するという行為そのものが不法なんですよ、という理屈をつけたんです。そこから
出てきた概念が東ドイツに対する「不法国家」というものです。
では、朝鮮民主主義人民共和国は不法国家なのか。この文脈から言うと、違う。もうひとつ、日朝交渉
などの議論のなかで、「日朝平壌宣言の精神に戻って議論を始めなさい」ということが、よく言われます。
なぜそのようなことが言われるのか書かれていますけれども、まず拉致問題を認めることとそれに対し
て謝罪があってから、この宣言が出たんですね。だから、まず「不法国家」という概念が間違っています
し、彼が取っている対応が、そもそも日朝平壌宣言の精神に反していると言えます。ですので、彼の発
言等々が在日朝鮮・韓国の人びとに対する差別的な対応だと言われても仕方がないと思います。こうい
ったような風潮を許す状況が日本社会の中にいま大きくあると思います。
こういった意味において、この裁判で勝利することが、京都だけの問題ではなくて全国の朝鮮人問題、
そして朝鮮学校に対する日本政府の誠実な対応を求める上で、非常に重要になってくると思います


(終)

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金尚均さんがおっしゃったように、この裁判が持つ意味、意義は非常に大きく価値あるものです。
日本の裁判史上 はじめて民族教育に対する差別問題をまっこうから取り上げているのですから!!桃

集会後のアンケートにこんな言葉があります。

「差別があって当たり前な社会から真意での平等が実現する社会になるための大きな裁判に
なると思います。」
・・・本当にその通りだと思います。

悲しいかな、長い抑圧と差別の歴史の中で日本社会ばかりか、在日自身の心の奥底にも
「在日は差別される側」の意識が巣食っています。
排除され、排除され、また排除されるなかで「またか・・・」という半ば諦めに近い感情を持つ人も
少なくありません。
私は、もちろん差別自体が断じて許せないし必ずなくして行かなければと思いますが、もうひとつ
私たちの中にある「諦め」や「慣れ」の意識をなくさなければならないと強く思っています。
そして、何より若い4世、5世の子たちがこのような意識を持つことが一番悲しく辛いのです。
ただ当たり前の教育を選択し、その中で夢と希望をみつけそれに向けて輝かしい学生時代を
謳歌して欲しい!!!!!
一点の曇りなく、ただ当たり前に・・・

そのためにも、この裁判で意義ある勝利を勝ち取るのが重要だと思います。

裁判を支援する会「こるむ」に大きな関心、応援をよろしくお願いしますおじぎ
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今日、ハッキョから『こるむ』(第10号)が配布されました。


『こるむ』とは在特会らによる朝鮮学校に対する襲撃事件裁判(略称:朝鮮学校襲撃事件裁判)を
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【歩み】(걸음-こるむ)が、子どもたちの未来をはぐくむ【こやし】(거름-こるむ)
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今日は、この中で紹介された龍谷大学法科大学院教員 金尚均(キム・サンギュン)さんの
裁判報告支援集会でのお話を2回にわたって掲載しますクローバー

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在特会裁判をみる目とヘイトクライム
                         支える会共同代表、龍谷大学法科大学院教員 金尚均

1.襲撃事件から2年と4ヶ月を経て

金尚均と申します。この裁判を振り返って、民事裁判としては中間地点に来たと私は認識しています。
2009年の忘れもしない12月4日の事件から、2年と4ヶ月が経ちました。この事件について、私個人
としては3つくらい自分の立場があると思っています。そのひとつが、当時、第一初級学校に子どもを
3人入れていました。小学校6年生、2番目が4年生、一番下の子が幼稚園の年長組でした。
一番小さい幼稚園の子どもは、たまたま宝ヶ池の方に小遠足に出かけていたので、現場にはいなか
ったのですが、上の2人は在特会事件があったときには現場の校舎にいました。むこうの街宣のわめ
き声が聞こえていたと言っていました。
この事件は、今回は民事事件で行われていますけれども、刑事裁判も行われました。さきほど法廷で
被告代理人の徳永弁護士からもありましたように、刑事裁判で被告の中谷さんが最高裁に上告して
いましたが、彼の上告が棄却されたということです。刑事裁判としてはいちおう、大きな区切りを迎え
たと考えています。
私は本職がじつは法律で飯を食べている者でありまして、この事件を見るもうひとつの立場として、
研究者としてのものがあります。まさか私が、法律で飯を食べていて、こういう自分が当事者となる
ような事件に遭遇するとは考えてもいませんでした。その意味で従来、また今、法律の理屈として
考えている自分の理論と、この事件に対する対応について、非常に悩む日々を送っています。
もうひとつは、一人の在日朝鮮人として事件をどう考えるのか、ということです。この事件は、非常に
排外主義的、差別的な行動が行われましたが、かたや大阪におきましても、高校授業料無償化の
前に、大阪での補助金から朝鮮学校が排除されています。その排除の源に、当時の大阪府知事、
そして今の大阪市長の発言があると思います。ここには、朝鮮民主主義人民共和国に対する認識
と、それに結びつけた朝鮮学校に対する攻撃があるかと思います。大阪と京都は、阪急電車・京阪
電車でいける距離ですけれども、距離的にも思想的にも軌を一にするような問題性があると思います。

2.朝鮮学校に通う子どもの親として

親として事件をどう考えるかといいますと、この問題は私たちにとっていまだに非常に重いものです。
2年も経ちましたけれども、まだまだ忘れられないこととしてありますのは、2009年の12月に在特
会が朝鮮学校に街宣を仕掛けてくると、インターネットのユーチューブで予告していた。それを今の
校長先生や教務主任に相談したところ、私もそうですし、教務主任もそうですけれども、お互い何の
ことなのかうまく掴めていなかったところがあったと思います。在特会という存在は知っていました
けれども、まさか自分たちが関わることになるとはほとんど考えていなかった。雲を掴むようなかた
ちで、いつ、どのように街宣を仕掛けてくるのかもわからず、対応していました。そのような不安な気
持ちの中でいつ来るのか、また来ないのか、非常に不安定な気持ちの中で対応していたのですが、
12月にとうとう来ました。
私は職場が第一初級学校から近かったので、自転車で駆けつけました。駆けつけた現場の風景
は、それは、私自身いまだあのような凄惨というか悲惨な光景は見たことがない。また、いろんな
喧嘩もしてきましたけれども、ああいう、ここでも何度か流されている被告らの街宣ビデオのような
発言は、私は先にも後にも経験したことがない。そこでの対応につきまして、その当時、言葉がな
かったというのが正直なところです。いま振り返って思うのですが、ああいう風な露骨な差別発言
をまとめて発せられた人間は言葉が出ないということが初めてわかったんですね。なぜ言葉が出
ないのか。びっくりしているのか。ショックなのか。それとも言われていることに納得しているのか。
いずれでもありません。
それまで、「ヘイトクライム(憎悪犯罪)」、差別発言をされた人びとは、沈黙してしまうということを
私は本の上では知っていました。それを「沈黙効果」と言うそうです。はじめ、これが何を意味して
いるのかよく分かりませんでした。「沈黙効果」という言葉は英語で書かれた本によく示されてい
たので、私の理解の仕方が間違っているのかな、と思っていました。しかし、現実に在特会の朝
鮮学校に対する襲撃効果を目の当たりにして、また現場にいて、「沈黙効果」というものがわかり
ました。普段は勢いのいいお父さん、先生がたが、彼らの襲撃行動が終わった後、いまでも忘れ
ないですけれども、みんな一様に黙ってしまうという状況が続きました。これは、私が朝鮮学校に
子どもを通わせてから、あの小さな校庭でみたシーンとしては、初めての状況でした。今でも忘れ
られないような悲惨な状況があの当時ありました。
ここで2つあると思います。やはり、差別される側の人びとというものは、たとえば私であれば、こ
こ日本というのは、自分の国ではない。だから、「郷に入らば郷に従え」で、「自分はここの国の人
ではないので差別されても仕方ない。黙っていよう。諦念する」、という態度に出る人もいるかと思
います。当時の環境の中で、もしかしたら私にも、「私たちは朝鮮人だから仕方がない」と思って、
黙ってしまう選択もあったと、今でも思います。もうひとつは、「いやこのままではいけない」という
姿勢ですね。こういった姿勢を取ることも可能だった。正直、迷いました。事件が終わって学校の
先生がたと相談しながら、弁護士さん等々に相談を持ちかけました。そのときでも、今後どう対応
をしたらいいのかについては、迷いながら相談していたというのが、今でも頭にあります。
こういった私自身の悩みもあるのですが、もうひとついまだに忘れられないのが、あの事件が起
こった以後、朝鮮学校に子どもを通わせているお母さんがたが、非常に献身的に子どもたちの
安全を守ろうと頑張って下さいました。何よりも忘れてはならないのは、学校の先生たちですね。
ああいう事件があって、次の日からまた子どもたちを預かろうという気持ちにはなかなかなれな
いと思うんです。学校の先生も一人の人間ですから、校長先生も飲んだら笑い、ときには泣いた
りもしはるんですけど、その一人の人間があのような状況の中で、子どもたちの安全を守って授
業をするというのは、すごい責任感と、すごい恐怖心があったと思います。私であったらそれがで
きるかな、という疑問、ないしは自信のなさが正直いまだにあります。ずっと子どもたちをあの状況
の中で授業をして守ってきた、これには私は頭が下がる思いでいます。こういったような気持ちが
ずっと、親として存在します。

(3.4へ続く)


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