1945年8月15日
日本の終戦記念日
8月4日に嵐・櫻井君&池上彰さんの「教科書で学べない戦争」が放送されました。
1941年12月8日午前1時35分
マレー半島にあった石油工場を奪うために、日本の攻撃がはじまります。
その約2時間後の午前3時25分
ハワイ・真珠湾攻撃
マレー半島に攻めたことが分かれば、アメリカが攻めてくる。ならば、その前に攻撃してやろうと…
一番印象に残った話が『義烈空挺隊』
1944年12月
当時26歳だった奥山隊長を中心に集められた126人の若者。目的は、サイパンにあるB29の基地を攻撃するため。しかし、この計画は中止となります。
今度は、硫黄島を攻撃する計画が上がりますが、これも中止…
2度の計画中止…周りの他の特攻隊員が続々と出撃していく中、『義烈空挺隊』は待機状態…「まな板の上の鯛」と当時の隊員だった方が言います。
そしてやってきた3度目の計画は、アメリカに占領された沖縄に攻撃に行く事。
1945年5月24日 出撃
8機112人が攻撃に向かいましたが、強制着陸したのはわずか1機のみ。それ以外の飛行機は全て敵地に着く前に撃沈。
出撃の日のニュース映像では、驚くほどの笑顔。その映像をカラー化し遺族に見せる事に。
当時27歳の長谷川道朗曹長の奥様は現在92歳。新婚3ヶ月で夫は戦地に。お腹の中にいた娘さんを女手ひとつで育てました。
長谷川曹長が出発する日、奥様はハチマキに<必勝 ツネ子>と書き、自ら切った小指の血をハチマキに付けて渡しました。
「じゃ、お前も一緒に行こうね」
これが、最愛の人の最後の言葉
カラー化された映像を見た事で甦る当時の記憶。
映像の中の長谷川曹長のハチマキは少しズレていて、きっと奥様の名前を前にしていたから…
私は、国の為に自ら死ににいく人はいないと思っていました。でも、『義烈空挺隊』の映像をみたらそうじゃ無い人もいたのかな…と。それは、腹をくくりながら中々飛べず、やっと飛べる喜び?愛する家族を守れるという使命感?私には分からない、当時の国の体制や国民の心情、環境などがあったのだと思います。
思いをはせるだけで、胸が苦しく痛くなりました。
安倍政権がまるで独裁的に推し進めている安保法案
今一度、全ての国民が戦争について学び考え平和を訴える必要があると思います。
70年前、命をかけて戦った方々の死を決して無駄にしてはならないんです。
