小管信子(2005)『戦後和解―日本は〈過去〉から解き放たれるのか』中公新書
戦後和解 - 日本は〈過去〉から解き放たれるのか (中公新書 (1804))/小菅 信子

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本書によると、そもそも近代以前のヨーロッパにおける戦後講和というものは「忘却」によってなされていたという。つまり当時は、これからの両国における平和関係維持のために過去は忘れる、という妥協による和解が慣例であったのである。しかし、19世紀ごろから様々な事情により、忘却による和解を許容しない、いわば「今後築くべき未来平和のために、戦争という過去を忘れてはいけない」ことが必要とされる時代になったのである。この和解アプローチの大きな転換を再認識することが現代の外交問題にとっても肝要なのではないか、と本書は説いている。
だが、過去に相手に与えられた想像を絶するような苦痛を「常に」想起することでその相手と築き上げる「友情」によって、我々はどれだけ「平和」へと近づくことができるのだろうか。今の日本が直面している課題を鑑みると、私はこの道がどうにも果てしなきものになってしまうのではないかと、考えてしまう。そして、それがたとえ歴史的に不可逆的な流れであるとしても、私はついつい「忘却」の魅力に引き寄せられてしまう。
そんな私を諭すように、筆者は忘却による和解は許容されない世界に生きる以上、過去を明らかにした上で、未来の平和のために両者は譲歩と妥協が必要であると、戦後の日英関係の変遷を例に挙げて説いていく。
戦後、日本軍によって泰緬鉄道建設に用いられた英軍捕虜処遇問題を発端とした英国内での「反日」感情は、1990年代になるまでたいそう強いものであった。しかし、そうした両者の軋轢も20世紀末に修復されることとなる。その変化の要因として、英国から経済的な要請や、当事者の高齢化も一因として考えられるが、ここで筆者は、民主的された社会における民間活動の重要性を強調している。そして民間を基点とした、かつての敵との積極的な「対面」によって日英関係は一応の解決を得、さらに合同慰霊などの戦後和解の形は、今日的な戦後平和構築の価値観とも一致していると述べている。
いずれにしても、今後とも日本が〈過去〉から解き放たれることはなさそうである。

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本書によると、そもそも近代以前のヨーロッパにおける戦後講和というものは「忘却」によってなされていたという。つまり当時は、これからの両国における平和関係維持のために過去は忘れる、という妥協による和解が慣例であったのである。しかし、19世紀ごろから様々な事情により、忘却による和解を許容しない、いわば「今後築くべき未来平和のために、戦争という過去を忘れてはいけない」ことが必要とされる時代になったのである。この和解アプローチの大きな転換を再認識することが現代の外交問題にとっても肝要なのではないか、と本書は説いている。
だが、過去に相手に与えられた想像を絶するような苦痛を「常に」想起することでその相手と築き上げる「友情」によって、我々はどれだけ「平和」へと近づくことができるのだろうか。今の日本が直面している課題を鑑みると、私はこの道がどうにも果てしなきものになってしまうのではないかと、考えてしまう。そして、それがたとえ歴史的に不可逆的な流れであるとしても、私はついつい「忘却」の魅力に引き寄せられてしまう。
そんな私を諭すように、筆者は忘却による和解は許容されない世界に生きる以上、過去を明らかにした上で、未来の平和のために両者は譲歩と妥協が必要であると、戦後の日英関係の変遷を例に挙げて説いていく。
戦後、日本軍によって泰緬鉄道建設に用いられた英軍捕虜処遇問題を発端とした英国内での「反日」感情は、1990年代になるまでたいそう強いものであった。しかし、そうした両者の軋轢も20世紀末に修復されることとなる。その変化の要因として、英国から経済的な要請や、当事者の高齢化も一因として考えられるが、ここで筆者は、民主的された社会における民間活動の重要性を強調している。そして民間を基点とした、かつての敵との積極的な「対面」によって日英関係は一応の解決を得、さらに合同慰霊などの戦後和解の形は、今日的な戦後平和構築の価値観とも一致していると述べている。
いずれにしても、今後とも日本が〈過去〉から解き放たれることはなさそうである。