司馬遼太郎(1971)『国盗り物語(三)(四)』新潮文庫 | Winterecord

司馬遼太郎(1971)『国盗り物語(三)(四)』新潮文庫

国盗り物語〈第3巻〉織田信長〈前編〉 (新潮文庫)/司馬 遼太郎

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国盗り物語〈第4巻〉織田信長〈後編〉 (新潮文庫)/司馬 遼太郎

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 道三には人の質というものを見抜く才があったといわれている。彼は美濃一国を統一する中で、身分の軽重を問わず人材登用を積極的に行い、その登用がことごとく見事に結実している点でも道三の才は実証されているだろう。その道三をして「わしは一生のうちずいぶんと男を見てきたが、そのなかで大器量の者は。尾張の婿の信長とわが甥光秀しかない」と言わしめた男、それが信長、光秀である。「美濃を制する者は天下を制す」といったもまた道三だが、本著『国盗り物語』の後編は道三亡き後の美濃を基点に天下取りに励む、そんな二人の武将の話である。
 もっとも、信長、光秀の行った諸業績に関しては多くは語られていない。ここで著者が描いた新たな歴史とは、この二人が道三を介して幼少の頃より相当に近い存在であったということであり、そして共に天下を奔走し、手を組み、やがては殺しあうことになってしまう運命的な結実なのである。
 さらに興味深い点の一つとしては、この両雄が共に道三の持ちえた資質をなんらかの形で受け継いでいることである。たとえば、光秀なら「奔走家」としての資質である。彼は、その人生の多くを無官の身ながら。足利将軍家の後継者を探し、確立させていくことに文字通り奔走した。筆者もその点に関しては、幕末の脱藩志士ならまだしも、「戦国中期にあっては。志士・奔走家といえる人物は明智十兵衛光秀しかない」と述べてる。この点は、一人二つの名をもち、一方で油商のオーナーとして、他方で武家に仕官する家臣として、美濃・京都間を往来していた道三とも重なる。一方の信長には、己の正義という強烈な価値観を基に、「残忍」と評されるほどに手厳しい世直しを実現していった点がある。彼は、古より続く常識・慣習に何の躊躇いもなく、自己流の新たな秩序を築かんとした。仏門の権威たる本願寺を炎上せしめたことはその、最たる例だろう。これは、神仏をも己が手中にいれて活用し尽くした道三の姿とも重なるだろう。
 このように、原点ともいうべき強烈な存在「道三」を二人は共有しあっていた。にもかかわらず、彼らは互いに相容れぬ価値観をもち、違う道を歩んでいた。それが数多の事情により、数奇にも手を結び共に天下統一の大業に挑もうとした。思い起こせば、その天下統一とは、お万阿に生涯を賭けて誓った道三の念願でもあったのだ。その夢を愛弟子たちが手を携えることで実現せしめんとした、まさにその直前に、二人はもつれあい、没していったのである。

――人生五十年、化転のうちに較ぶれば、夢まぼろしのことくなり、一度生をうけ、滅せぬもののあるべしや。
 戦国の世。まさに「夢まぼろし」のような、夢を共有した道三、信長、光秀。彼らの長く、悲劇的な所業に男の志の深遠さ、厳しさを思った。