司馬遼太郎(1971)『国盗り物語(一)(二)』新潮文庫
国盗り物語〈1〉斎藤道三〈前編〉 (新潮文庫)/司馬 遼太郎

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国盗り物語〈2〉斎藤道三〈後編〉 (新潮文庫)/司馬 遼太郎

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時は、戦国。どこからか現れた一介の牢人、松浪庄九郎が、美濃一国を掠め「盗」る物語。
物語の序盤からの庄九郎の身の転じようが痛快だ。坊主、商人、執事、また坊主、そして国主、と地を変え名を変え、彼は国家盗りを行った。
彼の成功の要因の一つには「金回りの良さ」が挙げられるだろう。彼はその成り上がる過程において、随所に他人に対して桁外れな大判ぶるまいを行っている。その気配り精神がなんとも的を得ており、その結果、彼は効果的に人心を掌握していくことに成功していく。私はその、この時代には稀有な投資スタイルに心を打たれた。その生き様こそ、商人出という庄九郎の出自を物語っているだろう。
では、彼はその金はどこから拠出していたのかというと、これもまた面白い。なんと彼は、武士として一つの国家をもぎ取ろうと錯綜する傍ら、京で油商の経営者として巨万の富を築く、という言わば二重生活を行っていたのだ。あるとき、庄九郎は自らをこう説明している。
――おれは、二つの人生を生きている。
この言葉にこそ、同時代には特異な彼の生き様が凝縮されていると思う。二つの人生など、生きれるはずはない。しかし、彼はそう述べ、実際に実行している。彼の思考における度量には、あるべきはずの際限がないのだ。なぜなら、彼には恐れるものがなかったからだ。過去仏門に入っていた庄九郎は、神仏すら彼にとっては「家来」である、と考えていた。それが彼の発想を豊かにした。
しかしそうした彼の姿は、周りの人間からすれば、奇異にしか映らなかっただろう。それゆえか、いつの頃からか庄九郎は人びとから「美濃の蝮」と呼ばれることになる。これは決して褒め言葉ではない。しかしこれに関しても、庄九郎は、簡単に肯定してしまう。そして利用してしまう。彼はあくまで、真理とは自分の手中にあるもので、状況とは利用せしめるもの、と考えているようである。その生き様に、これぞ合理的、彼こそエコノ君だ、と思わず感心してしまう。
本作により、庄九郎というあくの強い人間が一国の国主にまで成り上がっていく様を擬体験した。その中で改めて「戦国」という一時代について思いを馳せることができた。

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国盗り物語〈2〉斎藤道三〈後編〉 (新潮文庫)/司馬 遼太郎

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時は、戦国。どこからか現れた一介の牢人、松浪庄九郎が、美濃一国を掠め「盗」る物語。
物語の序盤からの庄九郎の身の転じようが痛快だ。坊主、商人、執事、また坊主、そして国主、と地を変え名を変え、彼は国家盗りを行った。
彼の成功の要因の一つには「金回りの良さ」が挙げられるだろう。彼はその成り上がる過程において、随所に他人に対して桁外れな大判ぶるまいを行っている。その気配り精神がなんとも的を得ており、その結果、彼は効果的に人心を掌握していくことに成功していく。私はその、この時代には稀有な投資スタイルに心を打たれた。その生き様こそ、商人出という庄九郎の出自を物語っているだろう。
では、彼はその金はどこから拠出していたのかというと、これもまた面白い。なんと彼は、武士として一つの国家をもぎ取ろうと錯綜する傍ら、京で油商の経営者として巨万の富を築く、という言わば二重生活を行っていたのだ。あるとき、庄九郎は自らをこう説明している。
――おれは、二つの人生を生きている。
この言葉にこそ、同時代には特異な彼の生き様が凝縮されていると思う。二つの人生など、生きれるはずはない。しかし、彼はそう述べ、実際に実行している。彼の思考における度量には、あるべきはずの際限がないのだ。なぜなら、彼には恐れるものがなかったからだ。過去仏門に入っていた庄九郎は、神仏すら彼にとっては「家来」である、と考えていた。それが彼の発想を豊かにした。
しかしそうした彼の姿は、周りの人間からすれば、奇異にしか映らなかっただろう。それゆえか、いつの頃からか庄九郎は人びとから「美濃の蝮」と呼ばれることになる。これは決して褒め言葉ではない。しかしこれに関しても、庄九郎は、簡単に肯定してしまう。そして利用してしまう。彼はあくまで、真理とは自分の手中にあるもので、状況とは利用せしめるもの、と考えているようである。その生き様に、これぞ合理的、彼こそエコノ君だ、と思わず感心してしまう。
本作により、庄九郎というあくの強い人間が一国の国主にまで成り上がっていく様を擬体験した。その中で改めて「戦国」という一時代について思いを馳せることができた。