阿部謹也(1988)『ハーメルンの笛吹き男―伝説とその世界』ちくま文庫 | Winterecord

阿部謹也(1988)『ハーメルンの笛吹き男―伝説とその世界』ちくま文庫

ハーメルンの笛吹き男―伝説とその世界 (ちくま文庫)/阿部 謹也

¥756
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グリム童話の一作として知られる「ハーメルンの笛吹き男」伝説。本書はこの伝説の起源を辿る中でヨーロッパ中世社会に潜む差別の問題を明らかにし、さらにはそこに生きる人々の心的構造の核心に迫ろうと試みる。
 まず、民衆伝説の研究はその性質上、非常に繊細さが必要とされる。例えば、伝説を合理的検証によって、民衆の虚構としてみなし、すぐさま否定してしまうことは簡単である。しかし、それでは民衆の心たるものを自在に内包しうる、伝説の自由奔放な性格までも無視してしまうことになりかねない。どのような伝説も、神話と同様にそれ自体の中に「無限の価値」を持っており、当時の民衆の生の感情を辿る唯一無二の鍵とさえなりうるのである。しかし、一方で伝説は本来柔軟な性格を持った民衆の精神を絶対化・固定化してしまう力も持ち合わせている。それが発展すると、かつて「笛吹き男」がプロイセンによるドイツ統一のシンボルとして位置づけられたことから分かるように、政治的利用や民衆教化に用いられることも容易に想像できるだろう。
 しかし、そんな苦難に正面からぶちあたり『伝説と自己との無限の距離の重みに耐えつづけ』ながら、「笛吹き男」を中心として中世賤民たちの社会を描こうとした本書は実に読み応えのあるものであった。笛吹き男に関して言えば、土地所有が社会的序列の基礎をなしていた中世社会では彼らのような土地に縛られることのない、いわゆる遍歴芸人は人間としての序列の枠外とみなされていた。それだけでなく彼らが外界から持ち込む様々な異教的文化は、教会のキリスト教普及にとって障害でしかなかったため、彼らは支配権力にとって危険な存在として認識された。そのような状況下において、東方植民や少年十字軍といった何らかの原因によって生じた、急激な人口減少という恐怖の捌け口として扱われた遍歴芸人の歴史は、非常に私の歴史的感覚をくすぐるものであった。