せこい教会<ホチキス編>

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震災後で大変な時期に、司祭館を建設しやがって、信者は険悪になり、ミサ説教も金出せ的なものとなり、本当に平成の大不況が教会にもやってきたか、という状況の頃の逸話。

 

ホチキス。

教会のホチキスが壊れた。

さて、あなたならどうする?

 

① Aさんに相談したら、2階の事務室にあるからそれを使ってくださいと言われた。

② Bさんに相談したら、自前のホチキスを持ってくることになり、マイホチキスに名前を書かされた。

③ Cさんに相談したら、前回と同じタイプの品物を買って黙って引き出しに入れておいてくれた。

 

こういう状況を、皆に相談する、と言います。

 

それで、Cさんに相談したけど、新しくなったことにまったく気づかなかったくらい同じものだったので、結局、Bさんの言う通り、自分でホチキスを買って、名前を書いて使っていた。

 

本当は、自分で買って寄付するほうが簡単なんだけど、事務の消耗品係が買ってくることになっていて、いちいち担当が誰か調べて連絡して、お金は会計のほうに領収書を回して代金は後から受け取る、なんて面倒に決まっているけど、それが正規のやり方。

 

自前のホチキスに自前の芯が入っているのは当たり前で、それが無くなったら教会のホチキスの芯を使うけど、残ったものを返すわけにはいかないよね。本当にせこいのだけど、ホチキスの芯の塊が半分残っていたとして、それをまた戻す?

 

そういう細かいところも気になるから、結局またCさんにホチキスがいつになるのか訊いたら、もう買ってあると叱られた。壊れたホチキスと同じものを同じところに入れられていたら、どうみても新品には見えないと思いながら、だったら買ったことを言ってくれたのにと思いながら、やっとホチキスが新しいものになった。

 

自分で買ったほうが気楽だ。どうせ教会のお金なんて寄付なんで。

税金みたいに細かい規定があるわけでもない。

ひたすらすったもんだするだけ。

自分でホチキス買って寄付して、教会への寄付や献金を減額したほうが気楽だ。

 

それと同じ理由で、近頃はボランティアも個人でやって、その分、教会費を減額。

教会がお金を出してくれないのならやれないというのなら、やらなくてもいいです、というのは傲慢だろうか。

 

 

詩篇33. 12-15

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