結局、どこまで受け入れるかの問題なんだろうな。

近頃、バチカンだってエホバの証人だってしょせんアボガド寿司みたいなもので、それが本物かどうかというところで議論は分かれるところでしょうけど、もともとは狭い市町村で起った出来事が世界中に広がっただけで、一人の人が死刑になったというだけの出来事にすぎない。

世界中で死刑になる人たちは今でもいるのでしょうし、古くは数えきれない人たちが死刑になってしまった。

有名なのがイエス様とか、マリー・アントワネットとか?

 

貧しき人たちは幸い。

 

本当にタイのお坊さんは乞食生活をやっていてとても貧乏な人たちなんだけど、実は大金持ちである。

 

 

毎朝托鉢をして食事をゲットする。

わずかなお金をいただいたり。

ワットのほうには観光客がいて、それなりに小銭を置いていってくれるが、その大半は金ぴかのワットに消える。何世紀にもわたってはりつけられた金箔がやけにまぶしい。

めのうでできた緑の仏像。

生活は貧乏なのですが、もしかするとあの世では絢爛豪華な世界の住人なのかもしれない。

そういう話は聖書にもあって、ラザロの話は有名。実はラザロも裕福な人だったのではないかという話ですが、黄金の家には住んでなかったのでしょう。

どうして象にまで金箔をはりつけるのかわからないけどやけにゴージャス。

 

パラクレートスというのは、復活後のイエス様が天に昇ってしまった後に来る方のことですが、イスラム教ではマホメットがパラクレートスで、イエス様を証する人らしく、だったらなんで喧嘩になるのかわからないのですが、イエス様が預言者であるか、三位一体の神であるかの問題が大きいのかもしれないし、単に後からそうやって言いだすのが気に入らなかったのか、私にはわからない。

 

イエス様を証するというか、聖書に書いてあることを証しているとすれば、お坊さんのほうがすごいですよ。世の中で一番貧しい人たちなのですが、あの絢爛豪華な世界の住人でもある。

キリスト教では無視されがちな霊の問題にしても、聖書では悪霊についてあんなにたくさんはっきり書かれていて、弟子には悪霊を追い出す権能まで与えられているというのに、神父さんたちは秘跡を与えることは考えているようだけど、実際に悪霊まで追い出してくれるかな・・・

そういうことを頼むのなら、お坊さんのほうが親身に相談に乗ってくれそう。

 

元来、宗教というのは生まれた土地や家柄で決まると思うのですが、今年のカトリックは福音宣教の年ということで、十代の子たちを中心に布教活動をやっているらしいのだけど、何やってるんでしょうね。

日本は住みやすいよい国だと思うのだけど、今更カトリックを布教して何をしようと?

タイに行ってますますタイにカトリックが必要か悩む。

 

ユダヤ人なんて市町村単位のローカルな氏神に拝んでいた人たちで、それがいつのまにか異教徒に広がり、私たちにとってイエス様はメシアなんだけど、彼らにしてみたらいまだにメシアを待っていて、イエス様は預言者らしい。

 

すでに日本の氏子として生まれた私にとって、日本の八百万は神ではないという言われ方に慣れているけど、ユダヤ人もイスラム教徒もイエス様について同じことを言っているだけのことかも。すでに何千年にもわたって相変わらずメシアを待っているユダヤ人は気の毒な気がするけど、あちらが実は江戸前寿司なのかもしれない。

 

悩む。

 

歴代誌上 2. 34-41

 

今日、エホバの証人の知り合いが来て話していたら、30分だけでも神様のことだけ考えていたらどうでしょうかと言われてしまった・・・

なんでエホバの人たちに言われるんだろう・・・

福音宣教の年につき、戸別訪問をやっているエホバのほうが偉いかもと。

今日は知事選があるから、この後、創価学会の知り合いがやってくる。カトリックは別に政党があるわけではないから、なんか適当なんだよね、私は。

 

のらくらのらくら。

 

出エジプト 39. 8-14

 

今時、司教様がこんなに宝石に埋もれていたら、カリタスへの支援はますます集まらないかも。

カリタスなんかにお金出すより、ワットに数十円寄付して金箔をはりつけたい気持ちがわかる。

息子がいなかったらエジプト人の召使を婿にして家系図が続く。

その人イケメンで優秀な召使だったのかな・・・