久しぶりにガラスクルーを持ち出し、パソコンの画面を掃除する。あっけないほどピカピカになった。が、しかし・・・・よせばいいのについでにキーボードの間などもちょこちょこティッシュで拭いたため、入力がおかしい。こういう時には、調べる前にシステムを復元するに限る。だってわからないもの。うっかりパソコンの掃除なんてやった日にはいつもこれだ。


パソコンの場合は初期化が可能だし、システムも復元すれば多少のトラブルは解決してしまう。残念ながら人間の場合はそう簡単にはいかない。ちょっとやばくなったから時間を戻して・・・なーんてね。そういうわけにはいかないかわりに忘却機能が備わっているらしく、大抵のトラブルは時間が解決してくれるとばかりに放置するに限る。


が、しかし・・・・せっかく平和に暮らしているのに、過去が甦ることもある。


そんな風に書くとおおげさだけど、ダンナの健康が快復したとたんにまた過去が追いかけてくる。それはよいことなのかもしれない。ずっと第一線でやってきて、あまりにもしんどいから逃げる。その時にたまたま結核が見つかったので、大義名分というものが成立し、結局事が荒立たずすべてが解決してしまった。


健康上の理由で、しばらく楽な仕事をして・・・・?


一度楽な生活を覚えてしまうと、再びあの戦場のような生活に舞い戻れるだろうか?

だるだる。

だるだるだる。


別にあたしが働くわけじゃないからいいんだけどね・・・生活費を入れてくれればなんでも。一度だるだるの生活を覚えてしまうと、外へ出るのはしんどい。結局、だるだるのまま子を育て、犬の世話をし、つまらん読書をし、ネットをやって遊んでいるだけ。


他人の自己中を責めるわりには、自己中には自己中のよさというものがあり、世の中のことにも他人のことにも無頓着。それはある意味自分についても無頓着ということでもあり、家の中で好きなことをやり、気ままに暮らす。


遠藤周作の小説の中にも出てくるけれども、生活の顔と人生の顔という言葉。遠藤氏の場合は、人生の顔という点では母と妻だけと書いてあった。結局、男というのはそうやって生きていくようになっているらしい。妻のパワーというのは、いかにそういう生活に汚染された顔を跳ね返すかという強さなのかもしれない。


その結果、「あの人も嫌い、この人も嫌い」ということになる。


なんか・・・・・嫌いなら嫌いでいいらしい。ダンナの場合は仕事があるから、嫌いでも逃げられない関係というのも多々あり、そういう場合でもわたしが嫌っていると家の中にまでそういう関係が入り込まない。その結果、わが家は世間では恐妻家ということで通っている?


たまに思うんだけど、そりゃないんじゃない?

嫌いなら嫌いって自分ではっきり言えばいいのに・・・


まあ、それをはっきり言えるくらいなら誰も苦労しないよね。

苦労するのはダンナだけで充分でしょう・・・たぶん。


ふん。