ブログ読者が何を考えているかということを自分に置き換えて考えてみる。


今日、わたしはブログペットが消えているのを発見し、これが今の方法では10日に一度更新しなければならないことを思い出す。そこで、のぶさんのブログ を来訪する。どうやったら普通にメニュー欄に設置できるかを相談するため。


そこで、不思議な記事 を発見する。どうやら日常生活で叱らなければならないことがあり、それについて書いているようだ。


正直言って、具体的に書いてあるわけじゃないから、何が言いたいのかよくわからない。それでも叱るという行為について考えたことが書いてあるらしい。そこでわたしはこれをネタにしようと思う。


・・・・・・・・・・・わたしにとってはそれがすべてだなあ・・・ブロガーとは。


わたしが、「のぶさん」について知っていることは、CSSについて詳しいということと、関西人であるということと、20代後半ということがどこかに書いてあったので実際にはそれくらいの知識しかない。それでも何も困らない。


わたしがのぶさんに要求しているのは、ブログペットのメニュー欄への設置方法である。どうしてそういうことが要求できるのかわからないけれども、「誰か知っているなら教えてほしい」というのがネットだと勝手に思っているので質問を書き込む。もしかするとそのうち記事がアップされるかもしれない。(義務ではない)


次に、わたしは自分が要求されたわけではないけれども、どうして近頃叱るのが流行らなくなったのかネタにしようと思う。それは記事を読んだからである。


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どうして叱るのが流行らなくなったかというと、学習理論の研究によるところが大きい。例えば、サルに、褒める(+)、叱る(-)といった刺激を与え、どちらが学習成績がよいかを比較する。あるいは、これに報酬(+)を組み合わせ、餌を与えたり、褒めたりすることにより、学習結果を比較する。その結果、褒めたほうが学習成績が良いということ、さらに理論的にはプラマイ0になったとしても褒めたほうが結果が良いらしく、これにより叱らない学習というのが推進されるようになった。


それではどうして叱るのだろうか?


叱るというのは負の刺激であり、学習効果には関係ないらしい。いわば賞罰で考えれば罰に相当する。罰を与えることは直接学習成績にはよい結果を残さない。それでいてアグレッシブな刺激は攻撃反応を喚起させ、どうも感情面を刺激するようである。怒ったり怒られたり、といった攻撃場面における抑制力や行動ということを学習しているのかも? 当たり前のようでいて、やってよいことわるいことを学習するということと、技能などのスキルを学習することはまったく違う。明らかに危険であるとか、攻撃場面であるとか、そういうシグナルは叱るという行為に含まれている。でも、スキルを学んだりすることには含まれない。


そうやって考えると、ストレッサーを与えるというのは、場で期待される学習とは違った行動を学習しているのかも。単に実験で期待される学習効果と、おおよそそれ以外の学習効果とは別個に考えられるため、もしかすると一つ与えて一つ失っている可能性すら考えられる。


少人数制教育と関係あるかどうかは知らないけど、グループのまとまりが一番よいのは15~16人とされ、これはコホートと呼ばれる。軍隊がこの数の編成をするのはそのせいらしい。(実際のところは知りませんが、軍隊のことは・・・)


その次に、厳しい乳母のいる孤児院とやさしい乳母のいる孤児院の子どもたちの発育の比較研究とか?

叱咤激励とは言うけれども、これが鬱には致命傷になりかねないとか?


あれにこれにと書きたいことが出てくる。

それでいて、どうやってそれを書いていってよいのか迷う。わたしの日常生活ではないから・・・こういった研究がありますよ、と書くことと、わたしの日常雑感を書くこととはまったく違う。


ブログってなんでもありいだから難しい。


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☆付記(分かりにくそうなので)


適切な叱り方: 
タイムリーであること。
信頼関係が根底にあること。
危険を知らせる(教える)ためであること。
過度に暴力的ではないこと(言葉を含めて)。


一日経ってから叱るとか、いきなり他人の子を叱るとか、算数が出来ないから叱るとか、感情的になって叱るとかはよろしくないようで。そのほか、子どもの性格もあるからむずかしいですよね。