どうしてわたしがプロテスタントではなくカトリックなのか、どうして誰も尋ねてくれないのだろう?

わたし・・・・

最初に神父さんのサイトにたどり着いた時、最初に訊いてみたかったことがこれ。

当時は通りすがりというか、匿名だったし、わたしが誰でも関係ない。もちろん今でもあまり関係ないかもしれないけど、単に通りすがりだとして、真っ先にお尋ねしたい質問がこれだった。

しかも、われながら変な質問なのである。


----どうしてマリアさまなの?


その時の小平神父さまのお答えは、至ってシンプル。


----どうしてマリアさまなの? とてもいい質問です。答えは簡単です。お子さまがキリストだからです。


その後の自分のリアクションが笑ってしまうけど、まあ、当時のことを知る人たちはこそこそ笑って楽しんでやってくださいませ。


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著者: 遠藤 周作

タイトル: 聖書のなかの女性たち



アダムの罪を贖ったのがイエス・キリストだとすると、イブの罪を贖ったのは聖母マリアなのだろうか。まだ冒頭から先、少し読み始めただけだけど、イブと聖母マリアという女性像を考えるだけで面白い。


小悪魔という表現を使う人たちが多いけど、その原型がイブなのかもしれない。アダムをそそのかして罪を犯させてしまう。その結果、人間は楽園を追い出された。


そして、聖母マリアの処女懐胎。イエス・キリストの誕生。救世主が現れたことにより、われらの罪が赦された。これが福音。この福音を世界中あまねく伝えよ?


キリスト教の歴史はともかく、問題はここにある。すべてがここにある。


あっさり語れば、わたしは処女懐胎を信じている。神の奇跡を信じている。あっさり語れば、だからカトリック。


クリスチャンでも信じていない人も多いのではないかと。自分からすれば、信じていないのになんでクリスチャンなのか不思議なんだけど、神の奇跡は信じないけど神の教えを学ぼうとするまじめな人たちなのだから、わたしよりも幾分マシなのかもしれない。


遠藤周作は文学の人なので、聖書のなかの女性たちが彼によりビビッドに描かれているのを読んでいると楽しい。聖書には書かれていないパーツでも、イマジネーションってすごい。彼女たちの人生が、生活が甦る。そして、彼女たちにとってイエスってどういう存在だったのか。


ストレートにイエスと対峙するのではなく、他者から見たイエス。そういう捻くれた聖書の読み方もありいなのかもしれない。文学は楽しみましょう、の世界だから。


え・・・・・・・処女懐胎も、神の奇跡も信じているけどプロテスタント?


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ややこしいことは、わたしにはわからないです。

ただ、このようにこの本を読んでいると、どうしてわたしがその頃に生まれてこなかったのか残念でたまらなくなる。神の奇跡を目の当たりに見てみたい。人として存在しているイエス・キリストに会ってみたい。ついこの間のことなんだよね・・・創世記から振り返ると。2000年という歳月が長いのか短いのか、わたしにはわからない。