短歌の基本は写実。
ということで、『創作短歌』というものをやらかそうと思って広辞苑を調べる。ところが、もうこの段階で躓いてしまった。

若山牧水の主宰していた詩歌集の名前が、『創作』だもの・・・

広辞苑によると、「創作」には3つの意味がある。

① はじめてつくること。つくりはじめること。創造。
② 芸術的感興を文芸・絵画・音楽などの芸術作品として独創的に表現すること。また、その表現された作品。
③ つくりごと。うそ。

どうしてこういうものをやらかそうと思ったかというと、missyouさんのところの影響。お題を選んでそこから詩や小説を創作していこうという試み。どうして日本人はこんなにお題が好きなのかわからないけれども、お題だけを扱ったサイトもあるらしく、そうやって言われれば以前ほかにも似たようなサイトを見たことがあるような気もするし、選んだお題をイメージして作歌してみようと思っただけ。

が、しかし・・・・

そうやってテーマを選ぶこと自体がどこか、つくりごとのような気がしてしまうし、それを小林信也さんみたいに短歌の形式を保ったまま小説と呼ぶことにもいささか抵抗のあるわたくしとしては、さらりと気分転換に流してしまおうと思っただけ。

題詠マラソンというのも遊びと言う人たちも多い。つまり、題詠というのがそもそも遊びのようなものなのかもしれないし、わたしとて、作歌の気分転換の一つとして去年は詠んでいたような記憶がある。

そりゃ毎日聖書と共に作歌を続けるというのは、実際にはどのようにお考えになるかわからないけれども、それなりに沈鬱な気分というものに満ちあふれながらネガティブな精神状態すら赤裸々に詠っていくわけで、それがすべて自分だと思われても、あまりにも濃厚すぎて、そのためにライトな世界が必要になっただけ。

詩だとつくりものでもよいのだろうか?

ってたまに思うことがある。どうしてそうやって感じるのかはともかく、詩は写実である必要性はないらしい。それは恋歌などにも共通するらしく、ネットで恋愛の短歌を詠んでいる人たちの中には、まるきり空想だけで詠んでいると平然と言ってのける人までいた。それが良いことなのか悪いことなのか、わたしにはわからない。でも、できればせめて恋の歌だからこそ真実を詠んでほしいとは常々思う。それでいて、あっさり語れば、世の中で一番嘘の通用する世界でもある・・・恋の歌。

佐藤春夫のように、赤裸々な詩でも悲しいものがあるけど。かといって、小説みたいにまるきり嘘だらけというのも情けないものがある。

一つ思ったんだけど、よく盗作とか著作権とかって言うでしょ? が、しかし・・・・「あ、これ、あたしが言ったことそのままパクッてるじゃないの?」というのはどうなんだろう・・・・

とは言うものの、誰かの言ったことを仮にサイトといえどもネタにするとするでしょ? そうするとほかの読者にはわからないけど、本人にはすぐわかると思うのよね。大したことではないけれども、手首がホッチキスだらけのネイビーの話とかさ。実話なんだけど、わたしは直接彼のことは知らない。潜水艦の中の様子とか、空気とか、自殺者の話とか、わたしの世界にはない世界。

でも、知らない誰かが話していることを誰かが勝手にネタにした場合はどうなんだろう?

そうやって考えると、最初にパブリッシャーした人の勝ちのような気もする。商売っていやらしいね、そうやって考えると。というか・・・なんて言ったらよいのだろう・・・怒りを通り越すと、諦めというか、このように自分の言葉で自分の世界をそのまま書けるということは素晴らしいという気がする今日この頃・・・

というわけで、歌人としては、単なる絵空事を創作と呼ぶわけにはいかないことに気づき、写実という制約があるからこそ、太陽にも月にも尾花にもコンクリにも並木にも風にも細心の注意を払う日常が与えられたのかもしれないと、太陽に向かっても、パソコンの画面に向かっても、独り言が続いて行く。


画像: 梓のホームページ