ちえみです。
実は、、
5月7日10:22、最愛の父がこの世を去りました。
享年67歳でした。
人生でこんなに悲しかった経験がないので、未だに父がいないことが不思議で、油断するとふとした瞬間に涙があふれてきます。
GWに入院したので何度かお見舞いに行ったけど、いつもと全く変わらず元気だった父。
今回大動脈瘤が見つかって入院したのだけど、この病気は症状が出ないので、通常破裂して初めて発覚し、処置が間に合わず命を落とすケースが多いそうで、今回事前に発見出来たのはすごく運が良かったと言われました。
また大きな手術ではあるけれど、危険率は5%くらいと言われ、早めに見つかって良かったねと皆で安心していました。
12年前にも一度大動脈の手術をしていて、すっかり元気になっていたことと、前回よりも危険率が少ないと言われていたので、父含め皆全く心配していませんでした。
手術当日も、「夕方には終わるだろうから」と言って手術室へ入っていった父。
「頑張ってね」と見送った言葉が、今思えば最期の言葉となってしまいました。
16時間にも及ぶ手術の末、付き添っていた母から電話があったのが深夜の2時頃。
手術中に急性心筋梗塞を起こしてしまい、心臓の動きが戻らないので、このままだとかなり危険な状態との知らせを聞いて、病室に到着するまで震えが止まりませんでした。
手術開始から丸2日、本当に頑張ってくれましたが、1日たって止まってしまった心臓の動きが、もう何をやっても戻らない状態が続き、今は機械で動かしているけれど、もう自分で動くことはないと先生から告げられました。
ちゃんと鼓動が聞こえて呼吸もしていて、触ると体温も温かいのに、もう機械を止めるという選択肢しか残されていないことが受け入れられず、辛くて辛くて、父の胸で泣き崩れました。
そして家族3人と叔母、従兄弟に看取られ、最期までまるで寝ているかのような顔で天国へ旅立った父。
こんなことになるなんて、夕方に戻るつもりだった本人が1番びっくりしてるよね。
まだまだやりたいこと沢山あっただろうな…と思うとやりきれない気持ちになりますが、多分死の恐怖や不安を感じることもなく、また最期まで麻酔のまま苦しむこともなく、家族みんなに見守られて、きっとしあわせな最期だったんじゃないかな。
してあげたいこともたくさんあったけど、多分どれだけ何をしてあげてもきっと後悔は尽きないし、後悔を嘆くよりも、これまで父と過ごしてきた楽しい想い出を振り返り大切にする方が、きっと父も喜ぶかなと思います。
ずっと実家で、毎日一緒に過ごしてきた父。
しょっちゅう送り迎えしてもらったり、家族で旅行やごはんもたくさん行ったし、バスツアーやディズニーも一緒に行ったり、楽しい想い出がいっぱい。
父も、入院のときも自分で荷物まとめて運転して病院へ向かったくらい、手術までは本当にいつも通り元気に生活していたので、4月はいつもの仲間とゴルフをしたり、父が掘ってきた筍を毎日飽きるほど食べたり、家族で父の行きつけの居酒屋でごはんしたり、あと弟が今度結婚する彼女にも会うことが出来ました。
お通夜、告別式にも本当に沢山の方が来てくださって、父の死を悼んでくださったので、父も嬉しかったと思います。
わたしも棺の父にお化粧をしたり、祭壇に家族旅行の写真を飾ったり、また棺には家族3人からの手紙と、家族旅行の写真を入れました。
手紙もいっぱい書いたし、旅行の想い出写真もいっぱい入れたので、父が全部見て色々振り返るのに時間がかかったのか、火葬の時間が通常よりも長くかかったようです。
そして参列いただいた方々から父との話を聞いて、よく娘さんの自慢をしてたよと言ってもらいましたが、わたしにとっても自慢の父親でした。
いつも甘えてばかりでしたが、優しくて面白い父が本当に大好きでした。
そして今は母が一人で寂しがっているので、母との時間を大切にしています。
一緒にお買い物したり、パンケーキ食べに行ったり、お休みの日はなるべく料理もしたり。
またこないだは、前の会社のお世話になっている先輩がわざわざお線香を上げに来てくださったので、クリームパンを焼きました。
先輩も数年前にお父さんを亡くされてるので、仏壇の前で涙を流してくれました。
どんなに悲しくても、早かれ遅かれ誰にでも必ず来ること。
いつかまた父に会えた時に、また自慢に思ってもらえるような生き方をしていきたいなと思っています。
少しずつだけど、取り戻しつつある日常の日々。
5月はやろうと思ってたことが何も出来なかったので、6月は色々こなしていきたいな。
ただでさえ祝日もなく雨も多くて、憂鬱な6月。
5月にキャンセルしてしまった予定も、6月はちゃんと楽しみたいと思っています☺︎
かなり長々と書いてしまいましたが、読んでくださった方がいたらありがとうございます。
それではこれから母と、父の車を掃除してきます



