急性期病院の役割については、現在の制度では、DPC算定といって、どれだけの医療費を使っても、疾患名に応じての定額医療費になっている。
病院が、損しないように、入院時には、高い治療費の算定になっており、日毎に、支給額が減残される。
いわゆる、集中的に、短期間における、治療をする場所が、急性期病院の役割。
抗がん剤治療も、外来で行われるようになって、医療保険的にも、その方が、選択できる薬剤が増えるというのがあったり。
あたしも、急性期病院に長く居座ってしまうことを経験してきたり、回復期リハビリも、療養型病院も、どこも受け取り先がなく、在宅体制が整ってないけれど、自宅退院したり、その間、一時的に、施設に入ったけれど、痙攣で出されたり…。
ってなことで、このブログで、漂流期日記を書いてきました。
現実の医療制度は、覆せないわけで、病院も、慈善事業ではないわけで、採算合わない医療を提供できなく、医師は医療者としての方向と、組織のあり方とが、合わない場合も、多々あるんじゃないかな?と。
医師も、狭間に挟まれてるという立場でもあるかな、って、感じるようになりました。
医師は、患者の気持ちも、病院の気持ちも、どちらも、正しく感じてるのでは…?
医師は、急性期の病院の役割としは、最善の治療を提供してくれるのでは?と。
命を救える場所。
いくら短期入院といっても、死にかけの患者を、追い出すことはしない。
ただ、集中的な治療が終わっても、継続的な医療が必要な場合、退院できなければ、居場所となる医療機関が限られてくるって、問題が課題。
そして、漂流する患者が、社会に溢れてくる。
高齢化社会でも、あるから。
今回は、綺麗事は、一切、話しません。
あたしの経験上では、医師が退院と言えば、退院するしかありません。
というか、退院するべきです。
今後の医師との関係が、こじれてしまいます。
治療中に、先を見越して、転院、在宅退院の調整をしていく。
ソーシャルワーカーさんに、おまかせするのではなく、あくまでも、自ら、動く。
転院先をネットで調べる、自分で問い合わせる、可能ならば、家族に見学に行ってもらう。
市役所や支援員さん、ケアマネさんに、入院した段階で、早急に、連絡を取る。
治療中から、動き出すことです。
厳しいようですが、必ず、退院は来ます。
入院した時点から、それは、動いています。
病院は、集中治療が終わった時点で、役割は終了します。
明日退院して下さいとか、今日これから退院できますとか、今の医療では当たり前になってきてます。
患者の立場としては、退院後のことを考えられる時間は、限られています。
しかも、入院する時って、体も心も、苦しい時期ですし、今が精一杯になり、今後のことは、考えられない。考えたくない。
答えに行き着かない。
それは、当たり前なことです。
でも、いくら、正論説いても、置かれてる場所は、厳しいけれど、現実。。。なんです。
どうしたら、病院と、医師と、上手に付き合えるか?
この先も、病気とお付き合いしていくには、考えることも、大切です。
裏手を返したら、いかに、今の医療制度を利用できるか?を、考えることが、必要になります。
病院には、患者の退院してからの生活を、考える義務はありません。
診るべきなのは、今、すぐに必要とするべき、または、継続的に必要とする医療提供。
集中治療が必要となった場合の、医療機関設備の提供。
それだけしてくれたら、十分、役割を果たしてると、あたしは感じています。
患者としては、冷静さが、必要なんですよね。
自分を客観的に見るというか。
当事者だと、混乱して、正しい判断を見逃してしまう。
何が可能か?不可能か?
現実の制度を見て、割りきることも、大切だと思います。
何したいか?は、実現できないかもしれません。
選択肢が残ってることに、希望を持って、現実的にできないものは、即切る。
選択肢に残ってるもので、妥協点を見つける。
あたしのように、国や病院や医師に、正論を振りかざして(頭の中で)、後から、振り回される年数になりませんように。。。
患者自身だから、すごく痛みが、わかる。。。
でも、基本は、社会では、弱者は弱者なんです。
そうだとしても、いかに、弱者のままにならないか?
強者になるには、何を利用するべきか?
頭をかしこく生きましょう。
悔しいこともあるけれど、自分を大事にしてあげられる手段を、考えること。
現実と向き合って、見極めていくこと。
あきらめないで。
必ず、生きていける道はあるから。
あたしも、あきらめず、これから、頑張っていく、覚悟を持ってるから。
一緒に、向き合っていこう。
聞かない人には、聞いてもらわなくていい。
言いたい人に、伝えよう。
言いたくないこと、聞かされたら、心の中で、殺したっていい。
社会や組織に、泣かされても、命は、絶対に捨てないで。
どんな状況であっても、生きる道を探そう。
その場所で、幸せを、探そう。
そんな…あたしでありたい。
病院が、損しないように、入院時には、高い治療費の算定になっており、日毎に、支給額が減残される。
いわゆる、集中的に、短期間における、治療をする場所が、急性期病院の役割。
抗がん剤治療も、外来で行われるようになって、医療保険的にも、その方が、選択できる薬剤が増えるというのがあったり。
あたしも、急性期病院に長く居座ってしまうことを経験してきたり、回復期リハビリも、療養型病院も、どこも受け取り先がなく、在宅体制が整ってないけれど、自宅退院したり、その間、一時的に、施設に入ったけれど、痙攣で出されたり…。
ってなことで、このブログで、漂流期日記を書いてきました。
現実の医療制度は、覆せないわけで、病院も、慈善事業ではないわけで、採算合わない医療を提供できなく、医師は医療者としての方向と、組織のあり方とが、合わない場合も、多々あるんじゃないかな?と。
医師も、狭間に挟まれてるという立場でもあるかな、って、感じるようになりました。
医師は、患者の気持ちも、病院の気持ちも、どちらも、正しく感じてるのでは…?
医師は、急性期の病院の役割としは、最善の治療を提供してくれるのでは?と。
命を救える場所。
いくら短期入院といっても、死にかけの患者を、追い出すことはしない。
ただ、集中的な治療が終わっても、継続的な医療が必要な場合、退院できなければ、居場所となる医療機関が限られてくるって、問題が課題。
そして、漂流する患者が、社会に溢れてくる。
高齢化社会でも、あるから。
今回は、綺麗事は、一切、話しません。
あたしの経験上では、医師が退院と言えば、退院するしかありません。
というか、退院するべきです。
今後の医師との関係が、こじれてしまいます。
治療中に、先を見越して、転院、在宅退院の調整をしていく。
ソーシャルワーカーさんに、おまかせするのではなく、あくまでも、自ら、動く。
転院先をネットで調べる、自分で問い合わせる、可能ならば、家族に見学に行ってもらう。
市役所や支援員さん、ケアマネさんに、入院した段階で、早急に、連絡を取る。
治療中から、動き出すことです。
厳しいようですが、必ず、退院は来ます。
入院した時点から、それは、動いています。
病院は、集中治療が終わった時点で、役割は終了します。
明日退院して下さいとか、今日これから退院できますとか、今の医療では当たり前になってきてます。
患者の立場としては、退院後のことを考えられる時間は、限られています。
しかも、入院する時って、体も心も、苦しい時期ですし、今が精一杯になり、今後のことは、考えられない。考えたくない。
答えに行き着かない。
それは、当たり前なことです。
でも、いくら、正論説いても、置かれてる場所は、厳しいけれど、現実。。。なんです。
どうしたら、病院と、医師と、上手に付き合えるか?
この先も、病気とお付き合いしていくには、考えることも、大切です。
裏手を返したら、いかに、今の医療制度を利用できるか?を、考えることが、必要になります。
病院には、患者の退院してからの生活を、考える義務はありません。
診るべきなのは、今、すぐに必要とするべき、または、継続的に必要とする医療提供。
集中治療が必要となった場合の、医療機関設備の提供。
それだけしてくれたら、十分、役割を果たしてると、あたしは感じています。
患者としては、冷静さが、必要なんですよね。
自分を客観的に見るというか。
当事者だと、混乱して、正しい判断を見逃してしまう。
何が可能か?不可能か?
現実の制度を見て、割りきることも、大切だと思います。
何したいか?は、実現できないかもしれません。
選択肢が残ってることに、希望を持って、現実的にできないものは、即切る。
選択肢に残ってるもので、妥協点を見つける。
あたしのように、国や病院や医師に、正論を振りかざして(頭の中で)、後から、振り回される年数になりませんように。。。
患者自身だから、すごく痛みが、わかる。。。
でも、基本は、社会では、弱者は弱者なんです。
そうだとしても、いかに、弱者のままにならないか?
強者になるには、何を利用するべきか?
頭をかしこく生きましょう。
悔しいこともあるけれど、自分を大事にしてあげられる手段を、考えること。
現実と向き合って、見極めていくこと。
あきらめないで。
必ず、生きていける道はあるから。
あたしも、あきらめず、これから、頑張っていく、覚悟を持ってるから。
一緒に、向き合っていこう。
聞かない人には、聞いてもらわなくていい。
言いたい人に、伝えよう。
言いたくないこと、聞かされたら、心の中で、殺したっていい。
社会や組織に、泣かされても、命は、絶対に捨てないで。
どんな状況であっても、生きる道を探そう。
その場所で、幸せを、探そう。
そんな…あたしでありたい。