ちょっと前に、書いた記事だけど…退かれてしまうかな?と、アップするのを戸惑っていました。
内容が、デリケートな部分であるだけに、気分を悪くされたり、傷付けてしまうかもしれないな…と、思って…。
でも、私の感じて、思ってることだよ~と、勇気を出して、話してみたいと思います。
幼い頃から、グルームに属することが、苦手だった。
病気がちで、学校も、休みがちだったこともあり、孤立することが多かった。
学校では、仲のよい女子同士で、いくつかのグループができていた。
私がいないことが、当たり前なクラスには、どのグループにも、居場所がなかった。
でも、そんな私にも、仲がよい親友はいて、クラスが違っても、遊びに行ったり。
でも、その友人にも、クラス仲間との交流する時間も大切だろうな…と思ってたから、
クラスで、その場その時で、気の合う子と話したり、一時的に、グループに入ったりしてた。
だけど、次に学校に行った時には、その子達と仲良くしてるか?は、わかんなくて…。
また、その時々、気の合いそうな子と、語り合う。
そんな私は、クラスでは、一匹狼みたいな存在で、浮いてたかもしれない。
(でも、休む方が多いから、目立つことはない。いや、たまにしか出席しないから、その日は注目されてたか…。)
たまに、学校に行くと、いじめが存在することを感じ取って…。
な~んか、バカバカしく白けた。
私は、いじめのターゲットに遭ってるらしき子とも、他のクラスメートと同じように、たまたま気が合う時には、会話して、関心がない時は、話さなかった。
「バイキングがうつるから。」とか、ワケわかんない理由で、誰も運びたがらない、ポツンと残された、その子の机も、何も考えず、運んだ。
(休みがちな私は、始めは、なぜ運ばないのか?理由さえ、知らなかった。)
そんなことしたら、私もいじめられてしまう?
そんなの関係ないし…だって、また明日も、学校に来れるか、わからないから。
入退院を繰り返していた、小児病棟には、もっと凄まじい…いじめが存在していたし、学校みたいに、日中だけ居ればいいわけではない。
24時間の生活の場だし。病気が治らないと、逃げれもしないし、親も側にいない環境で、子どもな私が、向き合わないといけなかった。
私も、大切にしてた、文房具を盗まれ、ゴミ箱に捨てられていた。
いじめる側の子が、病状が急変して、個室に移ったり、いなくなったりもした。
まだまだ子供なのに、親から離されて、病気だからって…我慢ばかりさせられて、人生は、平等なんかじゃないね、と、しみじみ感じさせられた。
小児病棟では、いじめる子は、長期入院や、病状が悪くて、ベットから動けない子。
親が忙しくて、なかなかお見舞いに来れない子。
いじめられるのは、入院したばかりの子、外泊が決まった子や、退院が間近な子。親が、毎回、見舞いに来てくれて、優しくされてる子。
ベットから動けない子が、いじめることできるの?と、疑問に思うかもだけど…動ける子を子分にして、いじめる。
ここも、小さな社会の縮図だった。
長期に入退院を繰り返してる私は、いじめる子を責めることもできなく、いじめられる子に、同情もできなかった。
命と人生の不平等を、まざまざと見てきた私には、小学校の世界そのものが、子供じみて感じた。
だから、同級生とは、話が合わなかった。
でも、中には、同じように感じてる子もいて、その時々、気は合うが、やはり、その子も、グループに属することで、安心を得てるみたいだった。
私は、大人になった今も、グループに属することが、怖く感じることがある…。
そのグループの中では、みんな、いつだって、共感し合い、同じ価値観で、違った意見は、ご法度。
ちょっと違う考えを発言をすれば、「あなたとは、気が合わないわ。」と、途端に、関係性がなくなってしまったり…。
グループにいたら、私の個がなくなる…。
自分が、何を感じて生きてるのか?自分で…わからなくなっちゃう。
私は、そう感じてしまう。
グループに属することで、安心を得る代わりに、個が見えなくなってしまうことが怖い。
個人で生きるということは、私にとっては、自分の発言や行動に責任を持つこと。
自分で、きちんと考えること、意見を伝えること。
そして、いつだって、自分が正しいわけではないことに気付き、他者の考えも、知りたくなること。
グループに属することで、意見が同一して、方向性が一方のみに加速度が付き、何が正しいか?も、間違ってるか?も、個人が考えることなく、突っ走ってしまうことが怖いんだよね…。
それって、多数派の怖さだと思う。
「みんなが、言ってた。」とか、そんな中身がない意見で、相手を納得させてしまう、…怖さ。
私は、そこに安心できなくて、むしろ、怖く感じてしまうんだ…。
cherryの中には、こんなトラウマがあったりします…。
もしも…私の文章力の足りなさで、言葉の表現で、傷付けてしまったら、ごめんなさい。
内容が、デリケートな部分であるだけに、気分を悪くされたり、傷付けてしまうかもしれないな…と、思って…。
でも、私の感じて、思ってることだよ~と、勇気を出して、話してみたいと思います。
幼い頃から、グルームに属することが、苦手だった。
病気がちで、学校も、休みがちだったこともあり、孤立することが多かった。
学校では、仲のよい女子同士で、いくつかのグループができていた。
私がいないことが、当たり前なクラスには、どのグループにも、居場所がなかった。
でも、そんな私にも、仲がよい親友はいて、クラスが違っても、遊びに行ったり。
でも、その友人にも、クラス仲間との交流する時間も大切だろうな…と思ってたから、
クラスで、その場その時で、気の合う子と話したり、一時的に、グループに入ったりしてた。
だけど、次に学校に行った時には、その子達と仲良くしてるか?は、わかんなくて…。
また、その時々、気の合いそうな子と、語り合う。
そんな私は、クラスでは、一匹狼みたいな存在で、浮いてたかもしれない。
(でも、休む方が多いから、目立つことはない。いや、たまにしか出席しないから、その日は注目されてたか…。)
たまに、学校に行くと、いじめが存在することを感じ取って…。
な~んか、バカバカしく白けた。
私は、いじめのターゲットに遭ってるらしき子とも、他のクラスメートと同じように、たまたま気が合う時には、会話して、関心がない時は、話さなかった。
「バイキングがうつるから。」とか、ワケわかんない理由で、誰も運びたがらない、ポツンと残された、その子の机も、何も考えず、運んだ。
(休みがちな私は、始めは、なぜ運ばないのか?理由さえ、知らなかった。)
そんなことしたら、私もいじめられてしまう?
そんなの関係ないし…だって、また明日も、学校に来れるか、わからないから。
入退院を繰り返していた、小児病棟には、もっと凄まじい…いじめが存在していたし、学校みたいに、日中だけ居ればいいわけではない。
24時間の生活の場だし。病気が治らないと、逃げれもしないし、親も側にいない環境で、子どもな私が、向き合わないといけなかった。
私も、大切にしてた、文房具を盗まれ、ゴミ箱に捨てられていた。
いじめる側の子が、病状が急変して、個室に移ったり、いなくなったりもした。
まだまだ子供なのに、親から離されて、病気だからって…我慢ばかりさせられて、人生は、平等なんかじゃないね、と、しみじみ感じさせられた。
小児病棟では、いじめる子は、長期入院や、病状が悪くて、ベットから動けない子。
親が忙しくて、なかなかお見舞いに来れない子。
いじめられるのは、入院したばかりの子、外泊が決まった子や、退院が間近な子。親が、毎回、見舞いに来てくれて、優しくされてる子。
ベットから動けない子が、いじめることできるの?と、疑問に思うかもだけど…動ける子を子分にして、いじめる。
ここも、小さな社会の縮図だった。
長期に入退院を繰り返してる私は、いじめる子を責めることもできなく、いじめられる子に、同情もできなかった。
命と人生の不平等を、まざまざと見てきた私には、小学校の世界そのものが、子供じみて感じた。
だから、同級生とは、話が合わなかった。
でも、中には、同じように感じてる子もいて、その時々、気は合うが、やはり、その子も、グループに属することで、安心を得てるみたいだった。
私は、大人になった今も、グループに属することが、怖く感じることがある…。
そのグループの中では、みんな、いつだって、共感し合い、同じ価値観で、違った意見は、ご法度。
ちょっと違う考えを発言をすれば、「あなたとは、気が合わないわ。」と、途端に、関係性がなくなってしまったり…。
グループにいたら、私の個がなくなる…。
自分が、何を感じて生きてるのか?自分で…わからなくなっちゃう。
私は、そう感じてしまう。
グループに属することで、安心を得る代わりに、個が見えなくなってしまうことが怖い。
個人で生きるということは、私にとっては、自分の発言や行動に責任を持つこと。
自分で、きちんと考えること、意見を伝えること。
そして、いつだって、自分が正しいわけではないことに気付き、他者の考えも、知りたくなること。
グループに属することで、意見が同一して、方向性が一方のみに加速度が付き、何が正しいか?も、間違ってるか?も、個人が考えることなく、突っ走ってしまうことが怖いんだよね…。
それって、多数派の怖さだと思う。
「みんなが、言ってた。」とか、そんな中身がない意見で、相手を納得させてしまう、…怖さ。
私は、そこに安心できなくて、むしろ、怖く感じてしまうんだ…。
cherryの中には、こんなトラウマがあったりします…。
もしも…私の文章力の足りなさで、言葉の表現で、傷付けてしまったら、ごめんなさい。