読み終わった本。
ひとを〈嫌う〉ということ
中島義道/著
角川文庫
あからさまな、〈タイトル〉に、ビックリ!させられましたが…、とても深く考えさせられました。
好きな人(恋愛対象としてのみではなく、人間的な好意を持つという意味で)のことは、その人そのものが、好きになるけれど、
嫌いな人のことは、その全てが、嫌いになる。
ということは、人間関係を眺めていたら、よくありがちなことのように思える。
でも、冷たくて、エゴイズムなことでもある気がします…。
昨日まで、仲良かったのに、今日のちょっとした出来事、交わした言葉、または、ふとした、すれ違いで…、
人間関係に、ズレが生じてきて、ヒビが入り、不信感がどんどん広がり、絶対的に、相手の存在そのものを、〈大嫌い〉になってしまう。
こういうことも、よくあるような…気がします。
相手が何気なく言った一言が、深く傷付いてしまい、相手に傷付けられたことさえ、伝えられず、
その出来事をきっかけにして、どんどん相手の行動や言葉が、悪い風に受け取ってしまい、
発言した相手には、(傷付けてしまっていること)さえ、知られることはなく、
何となく自分のことを、嫌っている?雰囲気を感じ取り、自分のことを避けてる人とは、自然と、嫌煙するしかなくて…、
いつの間にか、人間関係に、〈取り戻しの付かない、ヒビが入ってしまっている。〉
こういうことも、よく起こりうることだと思う。
中島義道さんは、他の著書で、〈対立がない、対話はない。〉とおっしゃられていますが、実は、相手に優しく、尊重している態度の中に(自分の陰な気持ちは、伝えない)、ものすごいエゴイズムも潜んでるのだ…ということについて、考えさせられました。
(相手に、傷付けられた事実を伝えることもなく(対話することなく)、絶対的に、自分が被害者であると判断して、バッサリと、相手を切り捨てること。)
私が、自分のことを、ちょっと変かも~一般的な捉え方と違うのかも~と感じるのは、相手のことを、〈100%好き〉にも、〈100%嫌い〉にもならない。
相手の中に、好きな部分もあるし、嫌いな部分もあり、その中で、合う部分と、合わない部分があるのは、全く違う人間なのだから、当たり前だと思うから。
自分だって、100%正しい人間でも、100%悪い人間でもなく、常に、間違った部分の自分がいるから。
だから、相手からの大抵の話にも、ビックリしないし、相手の突然の変化にも、驚かないし、そんなもんだなぁ~と感じる。
相手を知ることなんて、そんな簡単にはいかなく、良くも悪くも、自分に都合良く、妄想で、相手を見て、わかったつもりになってる気がする。
だから、ちょっとした、合わない、嫌いな部分を見つけると、どんどん妄想が、悪い方向に行ってしまうのかも…。
私は、どちらかというと、対立も嫌いで、対話も苦手…。
1人で、ポーっと過ごしてしまう時間が多い…。
ケアスタッフさんとも、距離感を保って、付き合うことを、大切にしてるし…。
もっと、人と交わって、関わる時間を、持たなくちゃ…かもしれません(・ω・)
←その対話の時間の中には、私の苦手な〈対立〉も、あるかもだけど…。
この著書の中での、著者の文章で、
『自分も、人を嫌いになるのだから、人から嫌われても、おあいこじゃないか。』
というような考え方があるのですが、なるほどなぁ~と、気付かされました。
ひとを〈嫌う〉ということ
中島義道/著
角川文庫
あからさまな、〈タイトル〉に、ビックリ!させられましたが…、とても深く考えさせられました。
好きな人(恋愛対象としてのみではなく、人間的な好意を持つという意味で)のことは、その人そのものが、好きになるけれど、
嫌いな人のことは、その全てが、嫌いになる。
ということは、人間関係を眺めていたら、よくありがちなことのように思える。
でも、冷たくて、エゴイズムなことでもある気がします…。
昨日まで、仲良かったのに、今日のちょっとした出来事、交わした言葉、または、ふとした、すれ違いで…、
人間関係に、ズレが生じてきて、ヒビが入り、不信感がどんどん広がり、絶対的に、相手の存在そのものを、〈大嫌い〉になってしまう。
こういうことも、よくあるような…気がします。
相手が何気なく言った一言が、深く傷付いてしまい、相手に傷付けられたことさえ、伝えられず、
その出来事をきっかけにして、どんどん相手の行動や言葉が、悪い風に受け取ってしまい、
発言した相手には、(傷付けてしまっていること)さえ、知られることはなく、
何となく自分のことを、嫌っている?雰囲気を感じ取り、自分のことを避けてる人とは、自然と、嫌煙するしかなくて…、
いつの間にか、人間関係に、〈取り戻しの付かない、ヒビが入ってしまっている。〉
こういうことも、よく起こりうることだと思う。
中島義道さんは、他の著書で、〈対立がない、対話はない。〉とおっしゃられていますが、実は、相手に優しく、尊重している態度の中に(自分の陰な気持ちは、伝えない)、ものすごいエゴイズムも潜んでるのだ…ということについて、考えさせられました。
(相手に、傷付けられた事実を伝えることもなく(対話することなく)、絶対的に、自分が被害者であると判断して、バッサリと、相手を切り捨てること。)
私が、自分のことを、ちょっと変かも~一般的な捉え方と違うのかも~と感じるのは、相手のことを、〈100%好き〉にも、〈100%嫌い〉にもならない。
相手の中に、好きな部分もあるし、嫌いな部分もあり、その中で、合う部分と、合わない部分があるのは、全く違う人間なのだから、当たり前だと思うから。
自分だって、100%正しい人間でも、100%悪い人間でもなく、常に、間違った部分の自分がいるから。
だから、相手からの大抵の話にも、ビックリしないし、相手の突然の変化にも、驚かないし、そんなもんだなぁ~と感じる。
相手を知ることなんて、そんな簡単にはいかなく、良くも悪くも、自分に都合良く、妄想で、相手を見て、わかったつもりになってる気がする。
だから、ちょっとした、合わない、嫌いな部分を見つけると、どんどん妄想が、悪い方向に行ってしまうのかも…。
私は、どちらかというと、対立も嫌いで、対話も苦手…。
1人で、ポーっと過ごしてしまう時間が多い…。
ケアスタッフさんとも、距離感を保って、付き合うことを、大切にしてるし…。
もっと、人と交わって、関わる時間を、持たなくちゃ…かもしれません(・ω・)
←その対話の時間の中には、私の苦手な〈対立〉も、あるかもだけど…。
この著書の中での、著者の文章で、
『自分も、人を嫌いになるのだから、人から嫌われても、おあいこじゃないか。』
というような考え方があるのですが、なるほどなぁ~と、気付かされました。
