私は、学校で教えられたように、または憲法で明記されてるように、『人間みな平等』とは、思っていなく生きてる派なのですが…。

平等という視点よりは、『人それぞれ』だと捉えています。



生まれる国によって、与えられるものは違うし、先進国に生まれたからこそ、与えられることってあるのかもしれない。

人生は、自分で培っていくものと、自分の力では変えようがない宿命があって、

何というか…私の小さな世界でも、私は私として生きてゆけばいいんであって、

そこに、偽善的な申し訳なさとか感謝とか、または、比較すること自体や、羨ましい、妬ましいというマイナス感情とか、そういう気持ちは、必要ないんだな~と。



大人になった友人は、ある日、こう言いました。

「私は、記憶の中では、両親と一度も会えない人生だったけど、かわいそうな人生だとも、親がいる人が羨ましいとも、今は思わなくなったよ。」

「だって、私には、親を亡くす悲しみを、経験しなくていいのだから。」



視力が徐々に落ちてゆく病気を患っている方は、失明した時、「あ~もうこれで、見えなくなる不安と向き合わなくて済むのだ。」と感じたそうです。



私は、今、車椅子生活だから、歩けなくなる不安を感じないで過ごせる。

私は、歩けなくなったのは、突然の出来事だったから、ゆっくりと進行していく不安感はなかった。

だけど、手動車椅子だった時、徐々に手の障害が進行していったから、腕を動かして、風を切って、車椅子を走らせられなくなる…という、悲しみはあったな~。

電動車椅子だと、そんなに早く走らせられないし。

あの車椅子を自走して、汗を流しながら、風を切る壮快感を、味わいたくなる。
(リハビリ入院中、誰も通らない外の道で、車椅子で走ってたから。)



誰もが、自分しか生きれない。ということなんだと思う。

人それぞれ。



そのことに気付いた瞬間、見方や感じ方が、ガラリと変わるのかもしれない。