今日は、叔母の一周忌でした。
なので、私は、お留守をしているわけです。
(近いので、さっき、母は家に帰ってきて、私の世話をしては、また出掛けました…。)
もうあれから、1年が経つのですね…。
今だに、お仏壇に拝みに行けてないのです。
(車椅子で、よそ様の家の中に入るのは、なかなか…。)
でも、きっと叔母は、少しも、怒ってないと思います。
(すぐ側に、会いに来てくれてる気さえします。)
いつだって、自分のことより、周りの人を大切にしていた叔母です。
共働きだった我が家で、私を育ててくれました。(放課後や夏休みは、叔母の家で過ごしてました。)
車椅子になってからも、何1つ変わりなく、接してくれました。
前までは、親戚の方々とは、私の障害や病気で、ちょっとだけ距離感もあったけれど…、
叔母が亡くなってから、偏見なく、親しく接してくれるようになりました。
人から人に繋がる『ハート』を、叔母は残してくれました。
死には、3つの死があると言います。
大切な人の死。
記憶の中での死。
そして
自分の死。
自分の死は、自分では自覚できないかもですが…
上の2つの死は、生きてる限り、深く関わるのだと思う。
命が亡くなっても、生きる人の中で、生き続ける。
ですが、やはり年月の流れと共に、記憶から薄れて行ったり…。
叔母の顔が、だんだんと薄れていくのを感じます。
不思議と声は、鮮明に覚えてるんですよね…。
それがいけないこと、とは思わない。
忘れるということは、生きていくにおいて、大切な作業だから。
今頃、きっと叔母の話を、親戚みんなで、語り合っているのだろうなぁ…。
なので、私は、お留守をしているわけです。
(近いので、さっき、母は家に帰ってきて、私の世話をしては、また出掛けました…。)
もうあれから、1年が経つのですね…。
今だに、お仏壇に拝みに行けてないのです。
(車椅子で、よそ様の家の中に入るのは、なかなか…。)
でも、きっと叔母は、少しも、怒ってないと思います。
(すぐ側に、会いに来てくれてる気さえします。)
いつだって、自分のことより、周りの人を大切にしていた叔母です。
共働きだった我が家で、私を育ててくれました。(放課後や夏休みは、叔母の家で過ごしてました。)
車椅子になってからも、何1つ変わりなく、接してくれました。
前までは、親戚の方々とは、私の障害や病気で、ちょっとだけ距離感もあったけれど…、
叔母が亡くなってから、偏見なく、親しく接してくれるようになりました。
人から人に繋がる『ハート』を、叔母は残してくれました。
死には、3つの死があると言います。
大切な人の死。
記憶の中での死。
そして
自分の死。
自分の死は、自分では自覚できないかもですが…
上の2つの死は、生きてる限り、深く関わるのだと思う。
命が亡くなっても、生きる人の中で、生き続ける。
ですが、やはり年月の流れと共に、記憶から薄れて行ったり…。
叔母の顔が、だんだんと薄れていくのを感じます。
不思議と声は、鮮明に覚えてるんですよね…。
それがいけないこと、とは思わない。
忘れるということは、生きていくにおいて、大切な作業だから。
今頃、きっと叔母の話を、親戚みんなで、語り合っているのだろうなぁ…。