その視覚障害者の方の、小学校での授業が、興味深かった。

アイマスクで白杖で、教室を歩いて、視覚障害者の方の生活体験をして、子供達の感想は、「目が見えないことは、大変なことだと思いました。」「目が見えないのに、なぜ、あんなに明るくいられるんだろうと、思いました。」と、言ってた。

「みんながみんな、自分を他人に置き換えてみて考えれると、優しい社会になるんだけどなぁ~。」

と、さっき書いたけれど、それが、いかに難しいか…。

例えば、『障害を持つことで、困ること』を伝えると、障害を持ったことにより、生じる、『その大変さ』のみが伝わってしまい、「障害者は、大変だ。」「障害者は、頑張ってる。」「障害者は、かわいそう。」と受け取られてしまう。

これが、より、障害者と健常者の壁を作ってしまわないか?と、危惧してしまう経験があった…。

障害があるからと、毎日が暗くて、大変で、頑張ってるわけじゃない。
楽しいこともあるし、嘆いてばかりいられなく、毎日、健康な人と同じように、自分の人生を、着々と生きてるわけだ。

そこに、「大変ですね。」「かわいそう。」とか、「頑張って下さい。」とかは、無意味な言葉だなぁと、私は時には感じたり…。

現実的に、どんな場面で、どのような手助けを必要としているか?シンプルに伝える手段はないものか?

同情とか、大変な人だから、かわいそうな人だから、助けなさい。とかではなくて。

ただ何となく、手伝った。
では、ダメなん?

何か、日本の福祉って、手助けするのに、ボランティアとか、わざわざ理由を必要とする感じがあるのだけど…。
そもそも、困った人を手助けするのに、理由はいるのか?

意外と、気付いたら、手伝っていました。って、場面経験してると思う。
エレベーターの開ボタンを押してあげたりとか。

だけど、それができない人も、多くなってる感もあるし…。
人を手助けすることが、「当たり前なこと」じゃなくなり、「特別なこと」になってきたのかなぁ?

手助けすることに、原稿用紙に書けるくらいの、立派な動機をみつけなきゃいけなくて…
ボランティアはかっこ悪いとか、いいことする自分は、ダサイとか、どんどん他人のためには、動けなくなる気がする…。