チェルノブイリの原発事故の番組を観ていて、放射能事故の恐ろしさを、肌寒くブルブル震えて感じた…。

生々しい、当時の映像が残されていた。

消火活動に入った消防士は、放射能事故の危険性を告げられずに、高い放射線量に被爆した。

国家機密のために、放射能事故は、隠されて、すぐに国民に知らせられることはなく、避難が遅れた。

石棺工事のために、放射能の危険性について、何も知らされなかった80万人もの市民が、チェルノブイリに送られ、被爆した。

水や、家畜の肉、ミルクも放射性物質に汚染され、それを食べた人々が、被爆を受けるという、負の連鎖が広がった。

上層部の数人の、「成功を納め、出世したいという、欲望のため」に、市民は、被爆して、故郷を捨て、犠牲になった。
原子炉を、偽装建築して、強行に実験に踏み込み、また、事故を、機密にして、隠蔽しようとまでした。

それは、どこにでも起こりうる、様々な突発的に起こる事故と、要素は似ているように、感じて仕方がない。
いつしか、欲望の塊だけを見つめて、効率的、能率的だけを、追及するものは、基本である、安全や、確認を、排除してしまわなければ、ならないものなのか?
責任を問うても、責任所さえ、あきらかにならない。
昨日の、スパの、爆発事故の、映像が被る。