気掛かりなことは、ありますか?
昨夜の、情熱大陸で、緩和ケア科の医師が、患者さんに尋ねていた言葉です。
「辛い所は、ありませんか?」
と、質問すると、患者さんのこと自身のみに、視点が向けられるけれど、家族のことや、楽しみにしてることなど、聞き出せたりするので、こう聞かれるとのこと。
医師側から、悩みを聞き出して、心を解き放つという診療の姿勢に、撮影スタッフの方が、「医師の役割では、ないのではないか?」と、尋ねたのだが…。
「患者は、身体と精神は切り離せない。全人的に、医療は、診療に当たっていくもの。」
というようなことを、おっしゃられてました。
確かに、1人の人間が病気になれば、病気そのものの問題のみではなく、家庭や仕事や社会的な悩みや、これから病気はどうなっていくんだろ?という精神的な悩み、また、緩和ケア科では(私の在宅クリニックも、在宅ホスピスの患者さんが多くおられるので)、死について見つめる作業は、宗教的な悩み(死後の世界についてなど)も、生まれることもあるだろうと、思う。
患者=病気の部分のみではなく、1人の人間そのものを、全人的に見つめて、医療に当たるという姿勢が求められると、思います。
けれど、これは、あくまでも理想で、それが、そのまま、現場で行われるか?というと…全ての病院では、たぶん、ノー!が、現実だろう。
私が、医師から言われたのは、「医師は、治療をするだけ。」
(補足・病院側は、「毎日点滴するだけだから、外来に来ればいい」と、入院させてくれなくて、私は、重度な身体障害があり、普通のタクシーには乗れない、常に介護者も必要と、体力的にも毎日は続かない、毎日の通院は物理的に不可能で、だけど、治療は受けたい意思があった時です。)
「通えない理由とか、それは、あなた側の問題。私は、点滴の指示を出すだけ。」
「障害があるからとか、家庭の事情(通院の介護者の確保が難しくて)とか、関係ない。あなたの人生まで見る義務はない。」と、はっきりとドクターから言われたので。
その時は、冷酷に感じたけど、あー医師と患者の関係は、こんなものかな?と、逆にスッキリと、割り切れるようになりました。
もう、医療には、一切!きっぱり!求めないぞ、と。。。
末期がんの患者さんで、抗がん剤治療の、副作用に苦しめられて、数か月の延命よりは、痛みなど取り除いて、有意義に過ごしたいと、治療を拒否された患者さんには(選択で拒否ではないと思うのだけど)、「病院は、治療をする場ですから。治療を受ける意思がない人が、いる所じゃない。」と、サッサッと退院させたり(病状は重いので、今日明日に急に退院できるわけもなく、転院されましたが。)
そういうのも、身近に見てきたから。
それに、今の医療制度では、長期入院ができなくなってるところか、平均入院日数が、10日前後とかなので(補足・入院日数が短い程、病院への報酬が高くなる現在の医療制度なので)、病院側も、急性期疾患以外は、追い出す形になるのが、どんどん…現実になってきた感じがします。
・末期がんや難病など、治る見込みがない患者は、医療から放棄されてしまう。
・または、末期がんや難病で、積極的治療を受けたくない方は?
「病院で、することはないですから~。」と、追い出されて、行き場がなくなってしまう。
病院は、最先端医療や、治すためだけに、必要とされてるわけではないと、思う。
そういう部分が、今の医学は、遅れてると思います。
緩和ケア科が、設置されてる病院も、まだまだ、少ないですし…。
あと…それから、その医師からは、こうも言われました。
「そういう先生は、患者が来ないから、暇なんだよ。私には、診療をこなすだけで手一杯で、時間的に余裕はないですよ。」
「むしろ、私は、患者にはみんな平等に、病状の重い軽いに関係なく、贔屓なく医療を提供します。」
「もっと診てあげたいとか、医師が情に流されて、治療に当たると、結局は、病院のベットの回転率が悪くなり、急性期治療が必要とする、救急患者に、入院治療ができなくなり、社会全体に公平な医療を提供できなくなってしまう。」
もちろん、病院は、1人の患者だけを診ているわけではないですが、目の前にいる、1人の患者を診れなくて、「医療が提供できてる?」と言えるのでしょうか?
これからは、高齢化社会で、治癒が困難な病気は増えると思う。
そういう人が、病院に助けを求めて来ると思う。
効率的な医療だけが、求められはしないと思う。
私は、医師ではないから、立場が違うけど…。
昨夜の、情熱大陸で、緩和ケア科の医師が、患者さんに尋ねていた言葉です。
「辛い所は、ありませんか?」
と、質問すると、患者さんのこと自身のみに、視点が向けられるけれど、家族のことや、楽しみにしてることなど、聞き出せたりするので、こう聞かれるとのこと。
医師側から、悩みを聞き出して、心を解き放つという診療の姿勢に、撮影スタッフの方が、「医師の役割では、ないのではないか?」と、尋ねたのだが…。
「患者は、身体と精神は切り離せない。全人的に、医療は、診療に当たっていくもの。」
というようなことを、おっしゃられてました。
確かに、1人の人間が病気になれば、病気そのものの問題のみではなく、家庭や仕事や社会的な悩みや、これから病気はどうなっていくんだろ?という精神的な悩み、また、緩和ケア科では(私の在宅クリニックも、在宅ホスピスの患者さんが多くおられるので)、死について見つめる作業は、宗教的な悩み(死後の世界についてなど)も、生まれることもあるだろうと、思う。
患者=病気の部分のみではなく、1人の人間そのものを、全人的に見つめて、医療に当たるという姿勢が求められると、思います。
けれど、これは、あくまでも理想で、それが、そのまま、現場で行われるか?というと…全ての病院では、たぶん、ノー!が、現実だろう。
私が、医師から言われたのは、「医師は、治療をするだけ。」
(補足・病院側は、「毎日点滴するだけだから、外来に来ればいい」と、入院させてくれなくて、私は、重度な身体障害があり、普通のタクシーには乗れない、常に介護者も必要と、体力的にも毎日は続かない、毎日の通院は物理的に不可能で、だけど、治療は受けたい意思があった時です。)
「通えない理由とか、それは、あなた側の問題。私は、点滴の指示を出すだけ。」
「障害があるからとか、家庭の事情(通院の介護者の確保が難しくて)とか、関係ない。あなたの人生まで見る義務はない。」と、はっきりとドクターから言われたので。
その時は、冷酷に感じたけど、あー医師と患者の関係は、こんなものかな?と、逆にスッキリと、割り切れるようになりました。
もう、医療には、一切!きっぱり!求めないぞ、と。。。
末期がんの患者さんで、抗がん剤治療の、副作用に苦しめられて、数か月の延命よりは、痛みなど取り除いて、有意義に過ごしたいと、治療を拒否された患者さんには(選択で拒否ではないと思うのだけど)、「病院は、治療をする場ですから。治療を受ける意思がない人が、いる所じゃない。」と、サッサッと退院させたり(病状は重いので、今日明日に急に退院できるわけもなく、転院されましたが。)
そういうのも、身近に見てきたから。
それに、今の医療制度では、長期入院ができなくなってるところか、平均入院日数が、10日前後とかなので(補足・入院日数が短い程、病院への報酬が高くなる現在の医療制度なので)、病院側も、急性期疾患以外は、追い出す形になるのが、どんどん…現実になってきた感じがします。
・末期がんや難病など、治る見込みがない患者は、医療から放棄されてしまう。
・または、末期がんや難病で、積極的治療を受けたくない方は?
「病院で、することはないですから~。」と、追い出されて、行き場がなくなってしまう。
病院は、最先端医療や、治すためだけに、必要とされてるわけではないと、思う。
そういう部分が、今の医学は、遅れてると思います。
緩和ケア科が、設置されてる病院も、まだまだ、少ないですし…。
あと…それから、その医師からは、こうも言われました。
「そういう先生は、患者が来ないから、暇なんだよ。私には、診療をこなすだけで手一杯で、時間的に余裕はないですよ。」
「むしろ、私は、患者にはみんな平等に、病状の重い軽いに関係なく、贔屓なく医療を提供します。」
「もっと診てあげたいとか、医師が情に流されて、治療に当たると、結局は、病院のベットの回転率が悪くなり、急性期治療が必要とする、救急患者に、入院治療ができなくなり、社会全体に公平な医療を提供できなくなってしまう。」
もちろん、病院は、1人の患者だけを診ているわけではないですが、目の前にいる、1人の患者を診れなくて、「医療が提供できてる?」と言えるのでしょうか?
これからは、高齢化社会で、治癒が困難な病気は増えると思う。
そういう人が、病院に助けを求めて来ると思う。
効率的な医療だけが、求められはしないと思う。
私は、医師ではないから、立場が違うけど…。