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甲羅に似せて

蟹は甲羅に似せて穴を掘るそうです。私も日々の想いを
蟹が穴を掘るように綴っていけたら・・・。

 師匠のおかみさんが亡くなった時、師匠は何をしていたのか、ずっと疑問でした。女性問題だと思って小草若さんは師匠を恨んでいましたが、今日の兄弟子達の話で、このとき師匠は、常打ち小屋のことで奔走していたことがわかりました。。

 この一件が、ファイナンシャルプランナーに銀行から借りたお金を持ち逃げされ、鞍馬会長に借金を肩代わりしてもらった挙句、高座をすっぽかした後の、酒びたりの日々に繋がるとは・・・。喜代美ちゃんと出会った頃の師匠は踏んだり蹴ったりのどん底状態だったんですね。


 部屋に戻った師匠を追いかけるように部屋に入った糸子さんは、意を決して入院してくださいと頭を下げます。「考えることから逃げるようにいろんな用事を作って、ほんとは怖いんでしょう?」と訊ねる糸子さんの洞察力に、参ったという顔で師匠は胸のうちを語ります。

 「地獄八景」のネタを語り聞かせながら、昔の人が考えた地獄は楽しいところで、どうしてか今ならわかるという師匠。「そう思わなかったら、まともに向き合ったら怖くて怖くて・・・みっともない男と思いますか?」と聞く師匠に「いいえ。」と答える糸子さん。「陽気なお囃子に送られて、地獄までの道中笑って過ごしたい。思い残すことのないようにしたいんです。」


 こうして言葉にして聞くと、一つ一つの言葉が胸に突き刺さるようです。落語家にとって落語は、学んでいくものと同時に、今自分が向き合わなくてはならないテーマと関わりの深いものを選ぶことによって、自分に引き寄せて身につけていくものなんですね。仕事であると同時に、自分を見つめなおすために、なくてはならないものなのかもしれません。そうやって落語を自分のものにしてきた師匠だからこそ、ひとりひとりの弟子達に、あんなに的確で心に残るアドバイスが出来たんだと思います、


 場面は変わって寝床で徒然亭のメンバーが常打ち小屋について話しています。個人芸と言われる落語も語り伝えるという意味では、聴いてくれて笑ってくれるお客さんがいて成り立っている。そういう落語の発信基地としての常打ち小屋というのは、上方落語に携わる者の悲願なんですね。


 ここで喜代美ちゃんは、語り伝える落語なのに、なぜ自分だけに創作落語をやれというのか、器用なことができる人間ではないとわかっているはずなのに、見放されたのでは?と落ち込んで話します。

 「自分のことばかり考えてると思うのは自意識過剰だ。」という四草さん。久しぶりの冷酷な突っ込み、さすがです。髪をオールバックにしてちょっと老けた感じになりましたが、きれいな目をしていますね。「師匠はもっと先を見ている気がする。」と言ったの草原さん。さすが1番弟子、師匠のことわかっています。


 師匠は鞍馬会長のところに出向いて、説得に当たります。案の定、会長は儲からないことのためには動かない様子です。そんな会長に、師匠は自宅を売って資金を調達することまで考えているようです。

 芸術一筋の師匠と違って、鞍馬会長はほんとに経営者ですね。儲かるかどうかということを常に考えていてこういう人も必要だなとは思います。会長なりに考えた提案は、女性落語家の若狭と師匠で師弟落語会を開いて話題づくりをしたらどうかというものでした。それが注目され再び落語ブームが起これば、その時は常打ち小屋のことを考えようとは、なるほど目の付け所が違いますね。

 でも、今の師匠にはそんな長い時間は残されていないことを考えると、じれったい気もします。


 師弟落語会のことを喜代美ちゃんと草々さんの前で話した後、再び創作落語をやれという師匠に、喜代美ちゃんはとまどって、「私に落語をやめさせたいんですか?」と食ってかかります。

 そんな彼女に、師匠は、「落語を続けさせたいんや。女が男のまねをして古典をやるだけでは生き残って行けない。生き残るすべを教えてやりたいんや。」と、自分の思いを話します。


 そこまで言うとお腹を押さえて苦しみ出す師匠。


 死の影は確実に師匠をとらえているようです。弟子達にいろいろな思いを託しながら、師匠はこの後、どうなるんでしょうか。常打ち小屋を作るという悲願は・・・?いろいろ思いをめぐらせながら、次回を待ちます。

 「地獄八景亡者戯」(じごくばっけいもうじゃのたわむれ)、再現ドラマきました!この世で面白いことをやり尽くして飽きてしまったお金持ちの旦那さん達の一行が、地獄への物見遊山へ出かけます。友春さん、はまり役ですね(笑)。

 落語では極楽より地獄の方が面白い所とは不思議ですね。確かに天国って雲の上にあってふわふわ浮いているようなイメージしかないけど、地獄には針の山やら血の池地獄やら、怖いもの見たさも手伝ってどんなかな~と想像力がふくらむ所があります。喜代美ちゃんもいろいろ妄想してましたね。


 死期が近づいた時、人は何を思うのでしょうか。何もない「無」の世界だと思うのは、むしろ一番怖いかもしれないです。振り返って自分の業を思うのでしょうか。思い残すことはないと思うのでしょうか。もっと生きているうちにやりたいことがあったと後悔するのでしょうか。


 人はいつかは死ぬのだから、芸術の世界でも現実世界でも、「死」は永遠のテーマですね。死ぬ当事者にとっても、残された人にとっても。

 そう考えると、今まで何の感慨もなかったお盆や法事など、死にまつわる決まり事というのは、人の死を悼む気持ちととてもリンクしているんだなあと、この歳にして初めて思い至ります。


 庭先でせみの亡き骸を見つけて、シャベルでこんもりお墓を作りながら、背中を丸めて「地獄八景」のネタをつぶやく師匠の後姿はなんだか鬼気迫るものがあり、見かけた糸子さんは立ち尽くします。こちらも見ていて胃がきりきりと痛みました。死と向き合う人の姿はこんなものかと。


 アパートで布団を敷く喜代美ちゃん夫妻と糸子さん。「ここに前、壁があったのに、なんでなくなったの?」と糸子さんが不思議そうに聞くと、喜代美ちゃんも草々さんもその時のことを思い出して、「別に」と言いながら照れたようにうつむいて笑います。

 そのはにかんだような笑顔と、その時の回想シーンにきゃーっ!となりました。

あれからもう7年半たつんですね~。

 

 そこに突然師匠が訪ねてきて、「ここを出て行ってくれ。」と、そっけなく突然言い放ちます。「明日みんなを集めてくれ。」とも。

 ・・・ここへきて思うのですが、心と違うことを言う時、自分の気持ちを悟られたくない時、師匠は普段見せないようなぶっきらぼうな態度になりますね。なにか思うことがあって自分ひとりでやろうとしているような感じがします。

 喜代美ちゃんは、また嫌われたと思って落ち込んでいるのが気の毒です。


 みんなを集めて師匠が話したことは、「落語の常打ち小屋を作りたい」ということでした。大阪にはなかったんですね。以前にも作ろうとしてうまくいかなかったような様子と、突然の師匠の提案への戸惑いが、兄弟子達の言葉から伝わってきます。

 なぜ今・・・?


 師匠のやり残したことはこれだったんでしょうか。病を抱えてこんな大変なことをどこまでできるんでしょうか。病気のことを忘れるために課題を作って没頭しているような、何かに取り付かれたかのような感じを受けます。


 弟子達に協力を求めるなら、その前に病気のことを打ち明けないと・・・。

昨日私がこたつで意識不明になっていた頃、川島さんの更新があったんですね。


 川島さんのゲーム関係の例えはさっぱりわからないんですが、数少ない知っているRPG、ドラゴンクエストに例えてくれたので、なるほど~と思いました。


 パーティに新しい仲間を加える時、まだ完全に信用していなくて、力を推し量りつつ様子をみながらも、名前をつけて一緒に旅をするうちにだんだん性格や力がわかってきてそのキャラ愛着がわくということがありました。

 腕力がすごかったり、強い魔法が使えたり、商才があったり、運だけが妙によかったり、偏ってはダメで、バランスよくそれぞれの個性がミックスすることが大切と思うと、ネゴさんが宝島でどんな個性を発揮するのか、ゆっくり待ちたいと思います。


 「自分達にはないものを持っている」と井上さんと川島さんが言う、その魅力ってなんなのかなあと思いながら。