女子中学生が、寝ている父親を刺し殺すという事件が起きました。
うちの娘は高1だけど、相方さんはよく「勉強しなさい」と娘に言っていたので、この事件を知って、どきっとしたようです。娘は全然聴く耳を持たないようですが。
気を許している家族に、突然命を奪われなくてはならなかったお父さんが、かわいそうでやりきれないのは、自分も親の立場だからなのでしょう。
付属の中学に通っているとはいえ、私立にも、のんびりした所もあれば、成績によって身の置き所がなくなる進学校もあるから、彼女の場合は後者だったのかもしれません。
勉強しなくちゃいけないとわかってはいても、その気になれない。
自分や、自分の子どものことを振り返りながら考えてみると、小学生の時は、考えるより先に体が動いていたのに、中学になるとしないといけないと思うのに、できなくなるような年頃のような気がします。
何でかなと思うと、大きくなると、何かに取りかかるとき、反射的にではなくて、過去のいろいろな経験や、やったあとどうなるかなど、取りかかる前にいろいろな考えが頭に浮かんで、それに心が乱されるということもあるんじゃないでしょうか。もう少し時間があるからあとでいいやとか。
思春期の心を悩ませるのは、出来ない自分となかなか向き合えないということです。これは本当の自分じゃないと思ったり、すごく自信がなくなったり。そのくせ、理想はとても高いので、実際の自分の力とのギャップに、気が遠くなって滅入ったりします。
でも、何かのせいにしないで、出来ない自分と向き合うことが、この時期いちばん大切だと思います。
そんな揺れ動く思春期の繊細な心には、「勉強しなさい」という、一見親としてもっともらしくて、実はすごく具体性に欠けるアドバイスって、とても空虚で脅迫的に響くのではないでしょうか。
子どもに愛情があって、何かを伝えたいと思っても、親が子どもにいざ向き合って声をかけるときに、何を話していいのかわからなくてとまどうということもあります。
そして、気がつくと「勉強しなさい」では、親の愛情は子どもに伝わるはずはないですよね。
バカ言って笑ったりするくらいがいいのかな。何かあったときには、親に相談すればわかってくれると、思ってくれるような親でいられたらなあと思います。
夢でうなされるほど重苦しく、存在を消してしまいたくなるような存在じゃないと思うんです。親って。
利害関係なく、いつも自分のことを心配して、力になってくれる心温まる存在であるはずだと思うんです。彼女も、時間か経って、そのことに気づける日が来るんじゃないかと思うのですが、その代償が大きすぎてせつないです。
子が親を、という事件で、親が思う以上に、「勉強しなさい」という言葉が、子どもに脅迫的な響きを持って受け取られている事を、この頃よく考えてしまいます。
勉強が、自分のためにするものじゃなくなっているのかな。