師匠は今、病院のベッドに横たわりながら、自分とかかわったいろんな人達について思いをめぐらして日々を送っているのかなあと思います。だから、あんな風にお見舞いに来た人にあったかい言葉をかけることができるんでしょう。
小次郎さんに、自分にも運を分けてもらいたいと言って宝くじを頼むのを見て、ああ、そういえば小次郎さんは宝くじのような人だなあと思いました。なくても困らないし、はずれると損したなあと思うけど、もし当たったらと考えると、不思議な幸福感に満たされます。それはひょっとしたらほんとに当たった時よりもっときらきらした感じかもしれません。そういう、形のない幸福感のようなものが、小次郎さんの周りには漂っている気がします。
奈津子さんは、そういう小次郎さんの存在を愛しているのかもしれませんね。この頃みかけなかったけど、女性落語家としての喜代美ちゃんをずっと追っていたんでした。撮りためた写真を師匠に見せながら、不器用でも一生懸命な喜代美ちゃんを見ながら、自分もがんばろうと思ったという話をします。師匠にとっても、初めての女の弟子なのに、おかみさんもいなくてとまどっていた部分を奈津子さんに頼る部分があったんですね。
回想シーンで師匠が、喜代美ちゃんが不器用だからこそ、人の気持ちがわかるし、楽しい落語ができると、短所がその人にとっては長所でもあるということで喜代美ちゃんを励ます所、私もなんだか励まされます。
今の時代、自分を好きな人って意外と少ないんじゃないでしょうか。優秀な人でも、自己評価が低い。競争社会だし、常に他人と比べることで自分の位置を確認しながら生きているから、人と関係ないところで価値観を作るのが難しい気がします。そうやって育てられているからそうなってしまうのかもしれません。
子どもが育っていく時、こんなふうにいいところを見つけてあげて、本人にも気がつくようにほめてあげることができれば、みんな自分をもっと好きになれるのにと思います。
人が元気になれる優しい言葉。そういう言葉が日本語には沢山あった気がするのに、この頃耳にする日本語には、なぜかあまり心にすっと入ってくる美しいものがないように思います。
そのせいか、童謡や日本の古い歌の歌詞を聴いたりすると、こんなきれいな言葉があったんだなあと感動します。落語も、いろんな表現の中に、日本語ならではのいろんな味のある言葉やいいまわしがあって、受け継いでいってほしいなあと思うところです。
創作落語をやっている横で「地獄八景」で盛り上がる兄弟子達を見て、「やっぱり私もやりたい。」と駄々っ子のように病室に入ってくる喜代美ちゃん、なんか、かわい~。気持ちを決めるのにずいぶん時間がかかる事です。師匠になだめられて頭を撫でてもらいながら、何を耳元でささやいてもらったんでしょうか。
落語会前日、師匠は帰宅を許されて、夕食を共にして一晩徒然亭で過ごします。病室の殺風景な壁をずっと眺めていた師匠には、きっと目に映るもの、耳に入るもの全てがほっとできる貴重な時間だったでしょうね。
「ほんまにおおきに。ありがとう。」
師匠のそんな言い方は、まるで最後の帰宅のようで、胸が苦しくなります。