こんばんわ。



今宵は生涯2度目の"鮑"を喰らいました、お刺身で。

むふふ・・・。






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さて今日は『無情』で。





禁欲的な気風・気質といった固定観念が

武士・サムライの世界にはあったようです。


自然に湧き上がる素直な欲求や感情を、

敢えて抑えるという苦しみを含んだ行為が、

武士・サムライの在り方だったようです。





難しい言い回しではありますが、想像できると思います。

"禁欲"的な行為は現代の私たちも"戒め"や"挑戦"の意味で

取り入れたコトもあるのではないでしょうか?


でも確実に違うコトが一つ、

表題にあるように"無情"かどうかです。


たとえばダイエット、我慢という背景の元の"禁欲"であり、

それは決して『無情』はありません。






日本人(サムライ)にとっては、


 多弁を弄して思想や感情を述べるというコトは、

 行為自体があまり深刻ではなく、誠意に欠けるしるし。


と。またそれを作者は、


 口開けて腸見する柘榴かな


ということわざで表現しています。

思想を隠す技術です。


詳細は以下英文(原文)を参考にしてください。


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To give in so many articulate words one's inmost thoughts and feelings--notably the religious--is taken among us as an unmistakable sign that they are neither very profound nor very sincere. "Only a pomegranate is he"--so runs a popular saying "who, when he gapes his mouth, displays the contents of his heart."


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一方、当然ながら以下のようにも考えるコトもできる。


 苦痛を耐え忍ぶ心理と、死に対する無頓着さは、

 神経の細やかさに欠けている。


日本人に対する日本人以外からの視点です。







最後に『克己』というコトバを紹介して終わりにします。

まずはYahoo!辞書から引用。


 克己 ・・・ 自分の感情・欲望・邪念などにうちかつこと


思いやりの心を抑え、素直を歪めて偏屈を生み、偽善を育む、

克己心で以って究極の善の状態に到達すべく、

武士・サムライは訓練したと言っています。




そうして到達した先に自殺、いわゆる"切腹"があるというシナリオです。







武士道をいろいろ勉強してきました。

いよいよ真髄に来たか?という感じになってきました。






活気溢れさせて永続的に戦い、そして挑み続けるコトはとても重要だと思います。

文化面においても"生涯学習"というコトバがあります。


これは持論ですが、

"ひく"という行為が定義されている考え方や方針はあまり見かけない気がします。


読む前なので推測ではありますが、

武士道には"切腹"など、その道から"ひく"コトまで踏まえられた

貴重さがあるのではと、私はこの先の展開を期待しています。

(武士道においての"切腹"が"ひく"に相当するかまったく分からないのですが)



"ひく"という行為が発生するのは、

その道に到達点や限界点があるからと私は考えます。


つまりその領域に不要となった場合は"ひく"コトが正しい、

そのように暗黙のうちに定義しているのだと。



この先に創造性を備えたモノは別として、

"ひく"という行為が含まれていない道は、

まだ未開の道であり、先駆者を待っているのでは?









後半は『無情』からえらい脱線しちゃいました・・・。

"切腹"への架け橋をしているウチに色々思ってしまい。


・・・書いているうちに、

「何かビジネスチャンスでもないかな」なんて思っちゃいました・・・。






ほいじゃ刀 土方




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