こんっばんわ。
いつも通勤電車で読書をするのですが、
なぜか最近、電車の混み具合が激しく、
両手塞がりで読書の進捗が芳しくありません・・・。
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今回は短くいこうと思います。
『誠』です。
何が浮かぶでしょうか?
多くの方が新撰組隊旗を思い浮かべるのではないでしょうか?
またもや伊達政宗からの引用です。
度を越えた礼はもはやまやかし
鋭いですね。それでまた、伝わる内容でもあります。
"またもや"と書いたのは『仁』 の章の紹介にも出てきているからです。
どこまでも行き届き、そして恐ろしく凄い存在であるコトが想像できます。
上記伊達政宗の言い様を熟語?で表現するのであれば、
"偽礼・偽証"といったトコロでしょうか。
・・・分かるような気がしますね。
今回の章では、その字の成り立ち(構成)についても触れられています。
抜粋します。
嘘、ごまかしは臆病とみなされた。
武士は自分達の社会的身分が、より高い『誠』の水準を求められていると考えていた。
"武士の一言"は断言したコトが真実であることを十分保証するモノであった。
武士の言葉は重みをもっているとされ、
約束は証文なしで決められ、実行された。
むしろ証文は武士の体面にかかわるものと考えられていた。
上記からして『誠』は武士の為にのみ存在するような言葉である気がします。
同時に、嘘をつくモノ(つまり『誠』なきモノ)は弱さとして批判されるのみならず、
自身が武士でないコトの露呈になってしまうのでは、とも言えると思います。
今の時代・社会においては、
・誠心
・誠意
・至誠
・忠誠
こんなカタチで良く耳にする、そして使われていますが、
その重みは欠けてきたのかもしれません。
ただ、それを補う心、いや目標までの距離を縮める心構えも、
『誠』でもってのみ達成されるように気がします。
♪燃えろドラポンズぅ~♪
(あっさり負けおって・・・)
ほいじゃ


