こんばんわ。
「たこときゅうりの和え物&たこ焼き&焼き鯖」で
半夏生を過ごしている真っ只中です。
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前回は『仁』をご紹介しました。
そして今回ご紹介するのは『礼』。
『仁』の締め括りには
他者の感情を尊重することから生まれる謙虚さ、慇懃さが礼の根源である。
とあります。
イマまでに『義』とか『勇』とか紹介してきましたが、
・・・どんなに深いんじゃい、という感じです。
まずは冒頭から抜粋します。
『礼』とは他人に対する思いやりを表現すること
↓
物事の道理を当然のこととして尊重すること
↓
実生活上の利点に対する差
日本人にとってとても尊重されている『礼』は、
実生活上の差から生まれているとあります。
その差の中で高い次元(有利側)にあるヒトが、
・苦難に耐え
・羨ましがらず
・自慢せず
・思い上がらず
・自己自身の利を求めず
・ヒトに動かされず
・悪事をたくらまない
コトが『礼』であると言っています。
修行僧というか、とある境地の人間を言っているのではと思うのは私だけ・・・!?
もう一つおなじみの単語を・・・、『礼法(礼儀作法)』です。
『礼』の定義が分かった上でその作法と意味について考えてみます。
多くの礼法・作法が存在して入るのですが、
その本質・目的は"精神を陶冶するコト"で、
先ほど紹介した『礼』の境地にまで心を鍛錬するコトとあります。
なるほど・・・、・・・イヤイヤ、
『礼』の定義は良いとして、どのようにして近づくねん!です。
さらにこのように言い換えられています。
日々の耐えざる鍛錬によって、
身体のあらゆる部分と機能に申し分のない秩序を受け、
かつ身体を環境に調和させて精神の統御が身体中にいきわたるようにする。
「をぉーっ!?」って感じです。
方法論や精神論的には理解できないコトもないですが、
実際どのようにして己を高めていくのか、想像だにできない状態です。
一人の大人として、必要最低限の礼儀というかマナーは
備えていると思い込んではいますが、実はそれは偽りの塊ではなんて思えてきました・・・!?
続いて、『礼』が姿を現すトキとは。
礼儀は慈愛と謙遜という動機から生じ、
他人の感情に対する優しい気持ちによってものごとを行うので、
いつも優美な感受性として表れる。
泣いているヒトとともに泣き、
喜びにあるヒトとともに喜ぶ。
です。これは何となく分かります。
そんな振舞いや共感をしたこともあるでしょうし。
本では『礼』の表れの差も紹介しています。
それはアメリカでの贈り物と日本での贈り物の、心情の差です。
贈り物をする際、
アメリカ : 贈り物となる品物のコトを素直に述べる
日本 : 贈り物をする気持ちのコトを述べる
というように、真実を扱うのか、その行為を扱うのかという差が表れています。
礼法が研ぎ澄まされた結果、日本の慣習が定着したのかと思いますが、
かといってアメリカ的考えがおかしいわけではないし、
どちらも否定するコトができません。
とはいえ、日本人が外国人から不思議に思われる部分であることも事実です。
日本における礼法の真髄はどれも一緒であると先ほども言いましたが、
世界規模においてはこの考え(武士道)は独特なモノと見られているのかと思います。
そんな事実があると、当然疑うべきが発生します。
『礼』の章の最後は以下のように締め括られています。
真実を語ることと、礼儀正しいこと、どちらが正しいか?
このことについては、正直さと誠実さを(後の章で)語るまで批評を差し控える。
と。
先が気になります。
同時にまったく先というか底が見えない武士道に、
自分が臨むにゃ早かったか!?とも・・・。
そんな次の章は『誠』です。
新撰組の隊旗にも掲げられた字、
楽しみ♪楽しみ♪
ほいじゃ


