こんにちわ。
(いきなり誤用・・・)
実はこの記事書くの2回目・・・。
(下書きに残す前にページ切り替えを行ってしまい・・・)
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今回は、『気』の高みにより近づけるという『仁』について。
孟子では"仁とは人なり"と定義されています。
『仁』はヒトの名前に良く使われています。
ちなみに私が浮かんだ『仁』を使った人物の名は、
・仁徳天皇
・種田仁
です・・・。
『気』がヒトから生まれる行為や構え、つまりアウトプットとするならば
『仁』は『気』というアウトプットの源という表現ができると私は思います。
本から抜粋します。
・優しく、母のような徳。
・高潔な義と、厳格な正義を男性的であるとするならば、
慈愛は女性的な性質である優しさと諭す力を備えている。
・仁の心をもっている人は
いつも苦しんでいる人、落胆している人のこと、
つまり思いやりを心にとめている。
・慈愛や慈悲は受益者の利益あるいは
損益をもたらす際の力を伴っている。
なるほど。
確かに道徳哲学のたどり着くトコロです。
私のごときでも幾許か共感できている気がします。
(前回紹介したニーチェの言わんとするトコロを見出した気がします!?)
また"武士の情け"というコトバの所以がココにあり、
そんなコトもいくらか感じるコトができます。
でも優しさ・愛あふれんばかりの『仁』には、容易にその背面が想像できます。
それは結論的に"契機を逃す"という表現がふさわしいかと思います。
再び抜粋します。
■伊達政宗
義に過ぐれば固くなる、仁に過ぐれば弱くなる。
■ことわざより
窮鳥懐に入るときは、猟師もこれを撃たず。
とはいえ、『仁』あるモノは
"契機を逃す"行為を意図的に実施しており、
また契機と思っていないから、上記はあてはまらないかもしれません。
『仁』の深いぃトコロ、感じるコトができたのではないでしょうか。
・・・私は『仁』からかけ離れたトコロにいる自分を改めて認識しました・・・。
最後に。
良く耳にするこのフレーズ『仁義なき戦い』について考えてみて終わりましょうか。
仁 : 慈悲・慈愛
義 : 正義の道理
『仁』も『義』も存在しない戦いって・・・。
シナリオも、目的も、得るものも失うものもない戦い!?
意味のない戦い??
私は小説や映画の『仁義なき戦い』を見たコトはないのですが、
そのストーリーに潜む戦いの意味や目的、戦いを成立させる構成要素、
そんなモノに少し興味を抱きました。
ほいじゃ


