こんばんわ。
『武士道』やっぱり難しい。
理解するのに読み返したり、
電車内で読んでいて分からなかったコトを、家に帰って調べたり。
進捗は芳しくはないです・・・。
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さて今回は"勇気"について。
「勇」の章を見ていると紹介したいコトがたくさんありましたが、
うまくまとめてみようと試みます・・・。
まずは"勇気"の定義を哲学視点で。
(本とWikiより抜粋)
■プラトン、ソクラテス
人が恐れるべきことと恐れるべきでないことの区別
■孔子(論語)
義を見てせざるは勇なきなり
■徳川光圀
生くべき時は生き死すべき時にのみ死するを真の勇とはいうなり
■シェイクスピア(勇猛の私生児)
あらゆる種類の危険を冒し生命を賭して死地に臨むこと
どうでしょうか。
どれも似たような意味合いであるとは思います。
ただ、徳川公は次のような観点が含まれています。
『死に値しないことのために死ぬことは犬死』と。
プラトンも道徳的勇気と肉体的勇気の差を言っています。
そんな、"勇気"には背景があると思います。
本では『勇気の精神的側面は落ち着き』とあります。
果敢な行為が"勇気"であると表現されやすいですが、
真には『心の穏やかな平静さ』で表されます。
戦場の昂揚の中、
破滅的な自体のさなか、
天変地異に対しても、
装うコトなく平静さを保ちそして乱れず、
そして動的な行動にうつる。
果敢な行為は、こうして状況における平静さから生み出されるモノであり、
"勇気"の定義はその行為ではなく『平静さ』や『余裕』というコトです。
辞世の句とありますが、とっさに詠んだモノもあるかと思いますが、
そのような"勇気"を持ち備えた人からしか出てこないような気もします。
今まで、奮ってきたつもりの"勇気"、
振り返ったらただの猪突猛進に過ぎないのかも・・・。
これからは簡単に"勇気"ってコトバを使わないようにしないと・・・。
最後に、勇気あるモノは
価値ある人物を平時は友とし、
戦時においてはそのような人物のみを敵とすべきことを要求する。
と。かの有名な上杉謙信から武田信玄への『塩をおくる』が例として挙げられています。
ホントの"勇気"とはこういうコトか、
ますます自分が今まで言い放ってきた"勇気"がの浅はかさに恥ずかしさ満点です・・・。
■ニーチェ
おのれの敵を誇れ。
されば汝の敵の成功は汝自身の成功となる。
とも言われています。
またこの高みに達すると次なる『仁』の領域に近づくようです。
そんな『仁』は後ほど・・・。
ほいじゃ


