先日、ニッポン昭和の歌謡界に彩りを添えてくださった方が、遠いトコロへ旅立ってしまった。その名は加瀬邦彦氏。コレを読んでる皆様も、TVの報道やネットのニュースなどで、すでにご存知のことかと思われ。
加瀬氏がニッポンの歌謡シーンに残した功績は大きい。自らがリーダーとなり結成した、ザ・ワイルドワンズでの活躍はモチロンのこと、他歌手への曲提供により作曲家としても名を馳せた方である。しかし、その偉業を称えるほどに、大きく報道されているか…と言えば、そうでもないため解せないトコロでもある。
加瀬氏がその生涯に世に送り出した楽曲は星の数ほど。それらの中にはアナログレコードの裏面やアルバム内の1曲として収録されたものなど、シングル盤のA面曲が恩恵に与れるほどの、燦燦とした光を浴びることができなかった楽曲も含まれる。それらを差し引くと…たしかに表に立つことができた作品数とやらは決して多くない。しかも、他人への提供にしても、それら歌い手の幅がさほど広くないという傾向もある。これが原因で、作曲家として語られる機会が少なくなっているのであれば、残念なことこの上ない次第でアリマシテ。
「想い出の渚」
「愛するアニタ」
「シー・シー・シー」
「危険なふたり」
「冬の駅」
「TOKIO」
「愛するアニタ」
「シー・シー・シー」
「危険なふたり」
「冬の駅」
「TOKIO」
これらだけでも祭り上げるには十分に値する…と、個人的には思う。また、加瀬氏が紡いだメロディーは、それこそ古き良きロックンロールのかほりが芳しい。アメリカンポップス、ビーチボーイズ、ビートルズ…これらキーワードでピンと反応する方にとっては、愛しくてたまらなくなるような旋律を、加瀬氏の作品中に見つけることができるのではないかと。
ということで、今回はそんな加瀬氏が残してくれた名曲の数々を、ミニミニコラムとしてふりかえってみることにした。名づけて
【追悼・さようなら加瀬邦彦さん】加瀬クンのヒットパレード
それでは、追悼の意も込めながら、ひとつずつ書き記していこう。
「シー・シー・シー」
ザ・タイガース
作詞:安井かずみ 編曲:不明
日本グラモフォン 1968年7月5日
ザ・タイガース
作詞:安井かずみ 編曲:不明
日本グラモフォン 1968年7月5日
おそらくは他歌手への提供曲第一号?当時、GSブームが絶頂を極める中、ザ・タイガースのナツウタとして発売された曲。レコジャケの雰囲気はビートルズを意識?また、サウンド面は60年代後期のビーチボーイズな雰囲気もそこはかとなく。タイトルの意味は定かではないが、当時のティーン間でトレンディとされていた、Colorful、Cool、Cuteの頭文字からという説もあれば、海を表す英単語のSeaからという見解も。作詞は後に加藤和彦氏の配偶者となる安井かずみ氏によるものだが、すでに故人となっている。この件に関してお伺いしたくとも、その術すらないのが残念無念。 |
「青い麦」
伊丹幸雄
作詞:有馬三恵子 編曲:青木望
CBSソニー 1972年4月21日
ソニー坊やというキャッチフレーズの下にデビューした男性アイドル、伊丹幸雄のデビュー曲。女の子みたいなソフトなお顔立ちとシュガシュガな甘い声で、日なたが似合う恋を歌い上げる青春賛歌。キミと知り合い、恋を知ったことが嬉しくてたまらん!そんな少年のヨロコビがこれでもかとばかりにほとばしる傑作チューン。米ティーン歌手、ボビー・シャーマンの曲や雰囲気が下敷きか? |
「危険なふたり」
沢田研二
作詞:安井かずみ 編曲:東海林修
ポリドール 1973年4月21日
ザ・タイガース解散後のソロになったジュリー、初のオリコン1位獲得曲。幼少時に見た賞番組で、コレを唄うジュリーのカッコ良かったこと!また、リズミカルでポップな中にもどこか哀愁味を漂わせるメロディーは、それこそ加瀬氏のオ・ハ・コ。半音多用の旋律で♪美しすぎるぅう~アアンと、ヨガるジュリーの歌声が、ソレと絶妙に絡みあう屈指の名曲!ケチのつけようがない作品。 |
「美しい別れ」
いしだあゆみ
作詞:なかにし礼 編曲:森岡賢一郎
日本コロムビア 1974年8月1日
加瀬氏は純度の高い歌謡曲メロディーも紡ぐことができた。それを紛れもない形で証明する1曲。カナダへ向けて旅立つ男…その彼を見送る女は恋の終わりを悟る。切符とパスポートは背広のポケットへ。荷造りを終えた鞄にはさよならの手紙をそっとしのばせ、わざと残した1時間。彼との最後をどうやって過ごせば美しい別れになるの?メジャー調で構成される旋律でありながらも、そこはかとなく哀愁味を感じさせるのは、まさに加瀬氏における腕の見せドコロ。いしだあゆみが同年の「紅白」で熱唱し、そのタイトルに負けず劣らずな美貌も披露。 |
「胸いっぱいの悲しみ」
沢田研二
作詞:安井かずみ 編曲:H.ロビンソン
ポリドール 1974年8月10日
ジュリーとロッカバラードの組み合わせは多く、フランスでもヒットした「巴里にひとり」、80年代リリースの「おまえがパラダイス」「渚のラブレター」もソレに該当。そしてメガヒット「危険なふたり」の後発シングルとして発売された本曲もそれらと同類。心にしみる枯葉色のメロディーは、いやがおうにも聴き手を感傷旅行へと旅立たせる。 |
「冬の駅」
小柳ルミ子
作詞:なかにし礼 編曲:森岡賢一郎
ワーナーパイオニア 1974年10月10日
こちらも歌謡曲的メロディーが印象に残る楽曲。しかし、それによくありがちな通常8ビートは用いず、バウンスというリズムに乗せたのが新鮮。どこか軽快なこのリズムは♪人は大人になるという…終わった恋に背を向け歩いていこうとする女性のキモチを代弁か。このリズムベースは荻野目洋子「さよならの果実たち」、渡辺美奈代「雪の帰り道」など、80年代アイドルたちにも引き継がれた。本来は軽やかなリズムが特徴のバウンス。が、なぜかどれもが別れ歌というのが興味深いトコロ。 |
「フラワー・メッセージ」
松本ちえこ
作詞:藤公之介 編曲:船山基紀
キャニオンレコード 1977年11月25日
スキャンダルにまみれ、アイドルとしてはトウがたってしまった松本ちえこ。そんな彼女に手を差し伸べたのは加瀬氏だった。コチラはロックンロールでも、オールディーズでもなく、純歌謡曲風味でグイ押し。日曜が来る度に、アナタの部屋に花を1本ずつ届け続けて50本目。はて?1年は52週だったはずだが、2週間だけサボったのか。前作「おもいで不足」はとてつもなく暗すぎた。が、本曲はソコから這い上がって花曇りレベル?完全マイナーとも言えぬ、微妙な雰囲気がそこはかとなく漂う。 |
「ハンダースの想い出の渚」
ザ・ハンダース
作詞:鳥塚繁樹 編曲:森岡賢一郎
CBSソニー 1978年7月21日
ザ・ワイルドワンズが1966年にリリースしたデビュー曲が、こんな形でまさかのリメイク。発売当時、TBS「ぎんざNow!」等に出演し人気を集めていたお笑いユニット、ザ・ハンダース。彼等がかつての名曲を声帯模写で唄うという宴会芸風コンセプト。メンバーのコミカルなモノマネは、かのさわやか湘南サウンドをここまでのベツモノに。波打ち際で撮影されたとおぼしきレコジャケ…野性味あふれるビジュアルがそこそこイケメンに見えてくるのは、草食系が増えすぎたせい?当時の彼等は完全に三の線だったはず。 |
「ベイビー・アイ・メイク・ア・モーション」
レイジー
作詞:岩沢律 編曲:渡辺茂樹
RVC 1979年6月5日
和製ベイシティ・ローラーズと呼ばれた、レイジーのシングル第8弾。まんまソレといったノリがてんこもりのメロディーとサウンドは、ライブにはお誂え向きといった風。現にレイジーのナンバーではかなりの人気を誇り、当時のファン間でもすこぶる評価が高かった。代表曲として語りたいくらいだが、その割にゃセールスがふるわず扱いに困る。曲の聴かせドコロ♪夜にまぎれて~部分に半音を宛がった音運び。これこそがまさにザ・加瀬邦彦。聴くたびに胸キュン!思わず70年代のあの頃にタイムスリップさせられてしまう。 |
「恋のバッド・チューニング」
沢田研二
作詞:糸井重里 編曲:後藤次利
ポリドール 1980年4月21日
「TOKIO」の後発シングルとして発売、オールドファッションなロックンロール風味。カラフルで騒がしく、そしてちょいとクレイジーな本曲は、アメリカンコミックでも読んでいるかのようなにぎやかさ。これと同じように解釈したであろうジュリー本人も、ノリノリで悪ふざけ?TV歌唱では白黒ボーダールックに、当時としてはめずらしかったカラコンをハメこむ徹底ぶり。バッドチューニング=はじめからちょっとずれてる周波数…はえぬきヲタな筆者はココに大きく共感。 |
「青空オンリー・ユー」
ひかる一平
作詞:松本隆 編曲:伊藤銀次、大村雅朗
フォーライフ 1981年5月21日
アイドルのデビュー曲は、清く正しく美しく。この方式に則り、加瀬氏がノリノリで書き上げたとおぼしき1曲。たのきんと共に人気上昇中だったひかる一平には、そのビジュアルに合致した、さわやかで明るいポップスを提供。コチラでもお得意の半音使いがのっけから炸裂!澄み渡る青空を思わせる爽快な作風は、かつて「想い出の渚」で聴き手を唸らせた加瀬氏ならでは。後述する松本友里(ユーリ)のデビュー曲「過剰にオンリー・ユー」とは、タイトルで双子ってるのも見逃せない。 |
「青春の誓い」
中井貴一
作詞:岩谷時子 編曲:飛澤宏元
東芝EMI 1984年3月21日
↑で清く正しく美しく路線が成功!ならば、ソレを体現したようなWAKA武者・貴一にもぜひ!と、加瀬氏に白羽の矢が立ったのか。コチラも「想い出の渚」をどこか彷彿させる、超絶さわやかソング。イントロで奏でられるギターの調べは初夏の風を感じさせ、爽快さ以外のナニモノでもないといったトコロ。また、コレを歌唱した中井貴一の歌声も、非の打ちドコロのない品行方正ぶり。汚れなぞ一切合財感じさせぬ青年による、ホワイト&ホワイトといった風。 |
「ボーイ・キラー」
松本友里(ユーリ)
作詞:売野雅勇 編曲:中村哲
RVC 1984年9月21日
加瀬氏80年代ワークにおける傑作中の傑作、オールディーズ歌謡。彼の体にはこのテのサウンドが染みついていた模様、もちろんコレは良き意味で。ソレ風味をコンセプトにしながらも、80年代のムーブメントはきちんと捉えた音運び。また、小気味良いタイトなメロディーで主人公のボーイ・キラーを演出。半音を駆使したメロディーが至るトコロで炸裂するのを聴くにつけ、加瀬氏はコレを得意技どころか必殺技として用いていたのであろうことが垣間見られる。ソレに応える形でベストパフォーマンスを見せた松本友里嬢にもアッパレを。♪だけど胸に秘めたぁぁぁあ~ココは何度でもリピートして聴きたいほどの絶品歌唱。 |
「太陽を抱きしめろ」
セイントフォー
作詞:森雪之丞 編曲:京田誠一
リバスター音産 1985年3月21日
セイントフォーのデビューに関しては、40億円が注ぎこまれたと言われている。この巨大プロジェクトには加瀬氏も作曲家として参加。同ユニットにおける重要な位置づけであろう、デビュー曲「不思議Tokyoシンデレラ」と2ndシングルを担当。それまでの加瀬作品とは異質?なにか戦隊モノを思わせるようなスピード感と勇ましさ溢れるサウンドが特徴。同ユニットに関しては2ndがその活動における白眉であり、加瀬氏がユニットの人気拍車に一役買ったと言える。しかし、加瀬メロディーを離れた3rdから、まさかの失速。艶めいたお仕事を続ける浜田嬢、引退して主婦の鈴木嬢、介護ドライバーとして奮闘する岩間嬢、そして行方不明らしい板谷嬢…一度だけの青春は輝いていた。セイントフォーよ、永遠なれ! |
嗚呼!名曲や傑作の多いこと。これらの他にも「初恋の絵日記」(ずうとるび|「紅白」で歌唱)、「女はそれを我慢できない」(アン・ルイス)、「夢見るマイ・ボーイ」(榊原郁恵)、「めざめてキス・ミー」(甲斐智枝美)、「銀のめがね」(黒木真由美)など。また、ジュリーとのお仕事でかなりの成果を上げられたことは知られるトコロであり、「追憶」「許されない愛」「あなたへの愛」など、その功績はとてつもなく大きい。
♪忘れはしない いつまでも* |
加瀬邦彦氏が僕らに残してくれた楽曲群は、まさにこの節に沿うようなものばかりではないだろうか。
改めて心からのお礼と、そして、ご冥福をお祈りしたい。
どうか空の上で安らかに。そして
「ウィンクでさよなら」 |
これを
♪あなたへのお別れのメッセージ** |
にしたい。加瀬邦彦さん、本当にありがとうございました。
*「想い出の渚」(ザ・ワイルドワンズ)より
**「フラワー・メッセージ」(松本ちえこ)より
**「フラワー・メッセージ」(松本ちえこ)より