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芸能界とはなんとも皮肉なものである。といきなり紋切り型に書いたってなんのこっちゃサッパリコンコン意味が分かりませんよねぇ。80年代がアイドル黄金時代だったことはこのブログにおいてこれまでにもクドイくらいに書いてきたので、皆様の頭の中もおそらくはソレがこびり付いてきている頃かと思う。そんな状況下、それこそ星の数の如くたくさんの女の子達が歌手として次から次へとデビューをカマしていったのだが、その中には歌唱力の優れた方、またその一方でソッチ方面は完全無視だった方…などなど、さまざまタイプのアイドルがいたワケなのです。歌手としてデビューしたんだもの…そりゃ歌唱力があるに越したことはないけれど、だからといって売れる保障が一切合切なかったのも事実なのである。そのようなワケで…今回は抜群の歌唱力を誇りながらもブレイクできずに消えていってしまった、この方のこの1曲をレビューしてみたいと思うのであります。

表題の「ミスター不思議」は川島恵さんのデビュー曲として、1982年2月21日に発売された楽曲だ。恵さんと言えば…

第2回 東芝タレントスカウトキャラバン

における優勝者(注:ホリプロタレントスカウトキャラバンではありませんので、あしからず^^;)であり、ソレがキッカケとなっての芸能界デビュー。その後もNHK「レッツゴーヤング」ではサンデーズの一員として抜擢されるなど、歌手としてデビューする前からお茶の間にはそこそこお顔が浸透していた方でもある。最近はどうも同姓同名…しかも漢字まで一緒のアナウンサー様がいらっしゃるようで…ネットで‘川島恵’と検索をかけるとソッチがヒットしてしまうから困ったもの。(笑)

さて、この曲の作詞を担当したのは阿久悠氏、そして作曲は大野克夫氏が手がけた、いわゆる‘春らんまん’のさわやかポップス。それこそアイドルのデビュー曲としてはうってつけ…申し分のない清らかさと心地よさが特徴の1曲とも言えようか。

この曲のテーマは…

恋をした16才…ミスター不思議と名づけた‘アナタ’のとりこよ、ウフッ♡

ちょっとフザけて分析すると、こんなところになるだろうか。まぁ、ティーンのお歌だもの…恋だの愛だのってのが人生における最重要テーマなのよねん。

♪センチメンタルが 好きになったのは
 涙が案外 熱いと気づいて そうね乙女ばなれ

恵さんのウリは天まで届くような…その伸びのある歌声。この序章部分では‘センチメンタル’という言葉を使用、作詞を担当されたのは阿久悠氏、そして‘フルーティー・ボーカリスト’と言わしめた、その伸びやかでジューシィー、そしてフレッシュなお声…そうなんですよ、皆様。この2つから想像されるもの、それは…

岩崎宏美

さんなのでゴザイマス。彼女には50万枚超えのヒット曲「センチメンタル」がありました。しかもソレを作詞されたのは阿久センセイ…この時点で恵さんデビューにおけるコンセプトはポスト宏美?という臭いがプンプン鼻を突いてくるのであります。

♪季節はクレヨンの落書き たちまち色づいて
 わたしのまわりだけ真っ白 それはきっとあなた あなたまかせね

もうなんでもいいから‘あなた色’に染めてぇ!と言わんばかりの惚れっぷりがとってもステキねぇ。この‘あなた色’だの‘あなたしだい’だの…とにかくこの頃における歌の世界で描かれていた女の子像というのは、「ついてゆくから引っ張ってぇ…」みたいな、そんな内気な感じのモノがとても多かったのだ。ソレはおそらく…今とは明らかに違った依存型であり、またそういう女の子を男の子は「守ってあげたい!」と思ったものなのです。そういったトコロから…

守ってあげたい症候群

なる人種(!)が発生していたのも事実である。このような理由から、女の子アイドル歌手にはそのようなイメージがウンと求められ…特殊な場合を除いてはそれがなきゃ売れないみたいな…そんな慣習までもが誕生してしまったワケなのでゴザイマス。だからこの時代に登場したボーイッシュなアイドルってのはどうにもこうにもウケが悪く…大沢の逸美姐さんしかり、佐東由梨ちゃんしかり…どの方もぶりぶりタイプを尻目に撃沈状態を喰らっていたのであります。ソレを見事に打ち破っていくのが83年以降のキョンキョン…そう、小泉今日子さんでゴザイマシタ。

♪恋をした16は 不思議のとりこ ミスター不思議の~

こうして歌詞を追ってみると…なんだかやっぱり阿久センセイは70年代が華であり、80年代に入るとその時代との間に少しずつ‘ズレ’のようなものが生じてきていたように思えるのである。決してこの曲の歌詞がヘンとか悪いとか…そんなことは一切ないのだが、他同期アイドル…例えば中森明菜さん、三田寛子さん、北原佐和子さん、堀ちえみさん、早見優さん等の洗練されたデビュー曲と比べてみると…この楽曲に関してはちょいと70年代の風情を引きずり過ぎてしまった感は否めない。

この曲はオリコン最高140位(144位説もあり)…あらら、この傑作でこの位置とは!先に述べたレッツヤンでは何度もご披露された曲だし、人気歌番組での歌唱ということで、かなりの宣伝効果は期待できたハズなのだが…。恵さんはとにかく声質がスバラシく、その歌唱力に関しては82年組の中でもズバ抜けていた。彼女と勝負になったのは…おそらくは明菜さんくらいだっただろうか、それだけのスバラシイ素質と技量をお持ちだったのである。だとすれば一体何がマズかったのだろうか。所属は東芝EMI、事務所はニューバンブー音楽事務所(←ちょいと弱小か)、歌唱力抜群、デビュー曲も一流どころによる作品、お顔だって八重歯がとってもキュートだったと思うのだが。まぁ、しいて言えばデビューした当時の髪型とか衣装とか…そこら辺りのコンセプトがいまいち定まりきれてなかったか。(←歌手デビューした直後は髪がおばちゃんパーマみたくなっちゃっていたもの。)レコ会社や事務所にはもっと時代を読んで欲しかったというかなんというか…欲を言えば1982年秋以降くらいの、落ち着いた頃のルックスで最初から勝負を賭けてきてくれていたら…うん、少なくとも100位の壁は破れたのではないか…そんな風に思ってしまうのである。

類まれな歌唱力で‘不思議’を唄い、なんとも解せない‘不思議なポジション’に収まる形と相成ってしまった恵さん…これだけ歌の唄える素材を生かせずにジ・エンドへと持ちこんでしまうとは。もう少し粘りのあるプロモは出来なかったのだろうか。後になってさいたまんぞうさんとのデュエット「東京カントリーナイト」
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なるお歌とか…ありましたが、そんなんじゃなくってぇ^^;。

これだけの逸材を台無しにする…なんとも勿体無い話なのである。


☆作品データ
作詞:阿久悠 作曲:大野克夫(1982年度作品・東芝EMI)