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1981年9月1日に徳間ジャパンより表題の「少女人形」で歌手デビューした伊藤つかささん。元々は子役として劇団いろはに所属。数々のTVドラマやCMなどで活躍していたが1980年にTBSで放送された「3年B組金八先生パート2」に生徒役として出演したのを機に人気に火が点きブレイクした人だ。クラスの中でも八重歯のキュートなかわいい子といった印象でひときわ目立っていたものだ。この人気が更にヒートアップして遂にはアイドルとして歌手デビューも果たしてしまったのだから凄い。80年代と言えば、人気が出る=アイドル歌手としてレコードデビューといった公式のようなものが暗黙の了解の如く存在していたが、つかささんもそれの流れに一気に乗って行ったひとりであると言えよう。

デビュー曲の「少女人形」はオリコン最高5位を記録、36.2万枚を売り上げる大ヒットとなっている。

1981年と言えば、マッチや沖田浩之、竹本孝之、ひかる一平をはじめとした男性新人歌手の豊作年だったが、その陰で女性新人歌手達は101位~200位の間を行ったり来たりが精一杯という苦しい状況が続いていた。そんな中、彗星の如く現れたのがこの伊藤つかささんであり、もちろん彼女は同年度の女性新人歌手の中ではダントツの人気とレコード売り上げを誇ることになったのだ。もしも彼女が新人賞レースに参加していたとしたらマッチと熾烈な戦いを繰り広げるライバルとして君臨し、女性歌手が殆どノミネートされることがなかったこの年度の新人賞レースに華を添える存在になったであろう。

作詞を担当したのは前回のアイドルレビューで書いた甲斐智枝美さんの「マーマレード気分」と同じ浅野裕子さん。彼女はモデル出身の美人作詞家として知られていた人だ。作曲は東洋のジョン・デンバーこと南こうせつさんが担当。当時、まだ14歳だった伊藤つかささんの少女らしい感性を散りばめた美しくも瑞々しい作品に仕上がっていた。でも歌冒頭の歌詞をあらためて見てみると、なんだかすごい歌詞だったことに驚く。

だって、夢を見る人形とみんなが私をそう呼んで、しかも風に揺られ白い風船が飛んでるみたいと~って。おいおい、なんだかちょいと危ない娘…ってな印象。

「そんなあなた…。風に吹かれてフワフワはいいけど、あっちへフラフラ、こっちへフラフラって。危ないったらありゃしないじゃないのっ!」

って復活コンサートでピンク・レディーのケイちゃんが多用してウケまくっていた例の「おばさん口調」じゃないけど、この歌詞じゃちょっと突っ込みたくもなるし、また心配にもなる…。(笑)まぁ、でもこの危うさと不安定さが当時のつかささんのガラス細工のお人形みたいな雰囲気にはピッタリはまっていたことは確か…。これは彼女の歌唱力も含めての話になるけれど。(笑)

伊藤つかささんと言えば切っても切り離せない語り草のようなモノがある。それは「児童福祉法」という日本の法律だ。なんでもこの法律は15歳以下の青少年に夜間の時間帯に労働をさせてはならないといった仕切りで、当時はまだ14歳だった伊藤つかささんはこれにモロに引っかかってしまったのだ。しかも「少女人形」が大ヒットしてテレビのベストテン番組やその他の歌番組などから出演のラブコールがかかっていたにもかかわらず、それらの生放送番組に出演することが出来ないといった非常事態に陥ってしまったのだ。彼女の場合、夜8時以降の番組では事前に収録したVTRでの出演という配慮がなされていたのだ。
最近の例だとSPEEDやモーニング娘。の一部メンバーなどがこれに該当したとのことだが、なんとも面倒な法律だったことは確かだ。芸能部門だけは別とか、そういった特例は認められなかったのだろうか。

つかささんはこのデビューヒットに気をよくしてか同年12月にはシングル第2弾の「夕暮れ物語」を発売。こちらもヒット(オリコン9位・20.4万枚)を記録し、アイドル歌手と女優の二足のわらじを履く芸能生活が続いていった。その後もサザンオールスターズの原由子さんが作詞・曲とも手がけた「夢見るSeason」(オリコン11位・14.1万枚)や「もう一度逢えますか」(オリコン16位・10万枚)などを発売し、オーセンティックなアイドル歌手達も真っ青になるような活躍ぶりを見せていた。ただその人気がもったのもデビュー翌年位までで、つかささんの年齢がその「児童福祉法」の呪縛から解き放たれた頃にはすでにアイドルとしての人気はすっかり冷え切っていたのだ。なんともタイミングの悪い話なのである。

過去のアイドルレビューにて

岩井小百合さん、姫乃樹リカさん

のところでも同様のことを書いたが、このテのロリータ系アイドルってのはどうにもこうにも旬を過ぎるのが妙に早いのが特徴でもある。ご両人同様、つかささんもその例に漏れずに最大の魅力であったその愛くるしさや初々しさが、もの凄い速度で変貌を遂げていってしまった印象が残る。まぁ、これは生きている人間の証でもあり、成長は誰にも止められないことだから仕方がないことと言えばそれまでなのだが…。つかささんの場合はそのロリータ的な可愛らしさが100%、いやそれ以上にはまり過ぎていたがために、それが好きでファンになった人達が彼女の成長につれてソッポを向いてしまったのだろう、おそらく…。もちろん女性として魅力的になっていったことには違いないのだが、大方のファンは彼女にそれは求めていなかったのだろう。

デビューした初年度だけがやけに魅力的であとは急な下り坂を猛スピードで駆け下りる暴走車輪みたいなアイドルってのもちょっと哀しくも切ないものがある。
まさに「花の命は短くて…苦しきことのみ多かりき…」なのか...。

☆作品データ
作詞:浅野裕子 作曲:南こうせつ(1981年度作品)