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これまでの奈保子→その子の流れからしたらかなりの格落ち感は否めずこのブログの読者から批判を浴びること覚悟で(笑)無理やり紹介することにしよう。夏も終わることだし記念に...って全然理由になってないが...。

テレビ東京で放送されていた「おはようスタジオ」で芸能界をメッタ斬りするコーナーを担当していた彼女達がフォーライフより「熱帯魚のタキシード」でデビューしたのは1982年12月5日。なんとデビュー曲は東京地区のみの限定発売というある意味、鳴り物入りでデビューしたソフトクリーム。彼女達を最初にテレ東の番組で見たときは「なんだ?このローカル色いっぱいのユニットは…」といった印象だった。だって肝心のデビュー曲が東京地区限定発売だなんて。なんだかその気の抜けたコーラみたいなプロモート体制からして全国に名前を轟かせるのを最初から諦めてるムードがムンムンのユニットといった風情だった。ソレはあえての作戦だったのだろうか。初期のオリジナルメンバーはユミこと遠藤由美子、マミこと大塚真美、チエこと天野千英。デビュー当初はテレビ東京専属アイドルのような状態で他局で彼女達の姿を見ることは稀であったが、翌年1983年にに発売した「すっぱい失敗」(←コレは全国発売)の頃からその遊び心いっぱいの森雪之丞氏による歌詞やセンターを務めた遠藤由美子のキュートなルックス&声がアイドルマニアの間でじわじわと浸透し始めた。

表題の「ごめんあそばせガンバリ娘」は84年の夏に発売されたシングル第7弾。作詞は森雪之丞、作曲は後藤次利というコンビ。ソフトクリームの殆どの曲をこのコンビが手がけている。発売時の季節に合わせて夏らしいアロハ+サンバ風のサウンドと例の遊びごころがいっぱいの歌詞がキャピキャピ感を増幅させている。だって

♪太陽サンサン ごくろうサンサン...夏の聖書に懺悔なんてナ~イ

って。なんだか一歩間違ったら企画モノと化しそうな悪臭がプンプン漂う歌詞なのだがソフトクリーム、特にユミのキャラと絶妙に相まって独特の世界感を作り出していたようにも思う。この曲から初期メンバーのチエに変わってナオが緊急加入したので先輩である芸能人臭がいっぱいの元メン2人とは裏腹に彼女だけが妙に素人っぽくてかなり浮いて見える。

もちろんこのメンバーの中で一番人気は言うまでもなくユミ(レコジャケ中央)だった。

なんせこのユニットは彼女を売り出すがために存在していたような印象もあった。彼女はソロ名義でちゃっかり「もしも世界にタヌキがいたら」という曲も発売し、この曲はフジテレビ「なるほど・ザ・ワールド」のエンディングにも使われ話題になった。しかもその好調さ加減で調子に乗ってもう1枚、「もしも世界にタヌキがいたら2」なるパート2ものまでも発売していた。

シングル第4弾の「スキよ!ダイスキ君」ではヤクルト球団の荒木投手とヤクルトのCMで共演するなどデビュー時のローカル色を吹き飛ばすような活躍を見せ始めたのもこの頃だ。それと相まってユミの例のソロシングルもオリコンでチャートイン、そしてシングル第5弾の「やったね!春だね!」を発売。おそらくこの頃が彼女達のピークだったと思われる。やっとこさ追い風に乗ったと思いきやチエが謎の脱退、新メンバーのナオを加入と女性3人組ユニットの伝統(!?)でもある突然のメンバーチェンジ→人気下降の法則にまんまと従ってしまった。あらら。他にも「クラスメイト失踪事件」などユニークな曲が多かっただけになんとも勿体無い話だ。なんで乗ってきたところでメンバーチェンジをするハメになったのかは巷で色々と憶測も流れているが、なんともタイミングの悪い印象が残ったなぁ。残したシングルは全部で9枚(ユミ名義のシングル2枚を含む)。コーラスワークなども割りと器用にこなすユニットだっただけに残念な終焉だったのが悔やまれる...。

☆作品データ
作詞:森雪之丞 作曲:後藤次利(1984年度作品)