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キョンキョンがデビューしたのは1982年3月21日。今更言うまでもないが彼女も花の82年組のひとりだ。
デビューのキッカケは日本テレビ「スター誕生」決戦大会での合格だった。「スタ誕」に挑戦した時に歌ったのは石野真子さんの「彼が初恋」。たしかこの時は、なんだかヤボったい太目のジーンズにトレーナーといういでたちだったと記憶している。歌唱力も特に秀でているわけでもなく、ルックスもちょっぴりヤンキー風だったから(←失礼)合格するレベルなのかどうかといったところだったが、フタを開けてみたら、あれよあれよという間に決戦大会まで駒を進めてしまい、ビクターとバーニングなどからのスカウトが上って歌手デビューへの切符を手にしてしまった人だ。

この頃は石野真子さんがご結婚のために引退、アイドル界ではその空いた椅子に次にすわるのは誰なのか...といった話題でもちきりだった。そんなところに都合よく彗星の如く現れたキョンキョン。しかも最終的に決まった所属先はビクターとバーニングという、石野真子さんと全く同じ布陣だった。もうこうなったら事務所としては引退してしまったドル箱アイドル、石野真子の後をなんとか彼女に継がせたいと思うのは自然なところだったのだろう。デビュー時から「わたし、石野真子さんの大ファンだったんです~!」とTVに出てくる度に宣伝しまくり、ポスト石野真子をアピールしまくっていたのだ。こういった商法はアイドル界では良く使われており、一例として柏原芳恵さんと同じ事務所から1984年に「H-i-r-o-s-h-i」でデビューした渡辺桂子さんも「柏原芳恵さん目指して頑張ります!」とクドイくらいに言って(←言わされていた?)いた。

さて、キョンキョンのデビュー曲、「私の16才」は前回このアイドルレビューで書いた北原佐和子さんの「マイ・ボーイフレンド」、そして同じ日にデビューした三田寛子さんの「駈けて来た処女」と共に好調な滑り出しを見せ、最終的にオリコン最高22位まで漕ぎ着けた。この曲はもともと彼女の所属したレコード会社、ビクターに70年代後半に所属していた森まどかさんという歌手が歌った曲の焼きまわし、いわゆるカバー作品だった。楽曲は全く同じだったがタイトルが「ねぇねぇねぇ」→「私の16才」へ変更され、アレンジも少し替えられていた。とはいえ82年当時としてもかなり70年代の雰囲気を色濃く残す、悪く言えばちょっと古臭い楽曲だった。他の同期(北原佐和子、三田寛子、堀ちえみ等々)が80年代らしい可愛くてフレッシュな曲を歌っていた中でこの曲は異臭を放っていたようにも思える。当の本人も最初にこの曲のデモテープを聴いた時に「ゲッ!演歌!?」と思ったそうで...。

♪今日も赤いリラの花~

って...。う~ん。たしかに演歌っぽい...。そんなもの髪に挿して待ってられても...って。そんな人にいつも待ってられたらちょっと怖い気もするし...。(笑)

しかもデビュー前にはオリジナルでかなり歌が上手かった森さんのテープが誤って業界に配られるというハプニングがあり「小泉今日子という新人はかなり歌が上手い!」という誤解の嵐が巻き起こってしまったという逸話も残されている。森まどかさんがかなり歌の上手い方だったために、そのデープを聴いた業界の関係者は相当キョンキョンに期待をしてしまったらしい。キョンキョン自身は「スタ誕」出身だから歌唱力はあったはず...と思いきや、実際はさほどでもなかったから(笑)、当の本人はかなりあせっていたらしいのだ。

それにしてもこの画像のキョンキョン、思いっきり80年代風のブリブリ、ヒラヒラの衣装でかなり凄い!今となっては絶対に着てくれないであろうシロモノなのだ。

たしかこのピンクの他にも黄色と黄緑色の似たようなデザインの衣装もあった。すべて蛍光色が使われていたようでキョンキョンご本人曰く「楽屋の壁にかけられたこれらの衣装が暗がりで不気味に光るのが怖かった...」そうである。

デビューしてすぐの頃にキョンキョンがあるデパートの屋上で催されたラジオの公録時にこのピンクの衣装を着て現れたことがあったけど、肉眼で見たその色はもの凄い強烈なピンクだった。TVで見る色合いよりも数倍は派手な色だったのを鮮明に憶えてる。これではキョンキョンが怖がった意味も良く分かる。本人は嫌っていた衣装だったけど地味な衣装でデビューさせられた「スローモーション」の中森明菜さんからは相当羨ましがられていたとか...。明菜さんは当時を振り返る番組ではいつもこの話を引き合いに出していたから、明菜さんとしたら相当に羨ましかったのだろうな...。たしかに明菜さんのデビュー時の衣装のセンスはお世辞にも良いとは言えなかったし...。(笑)

☆作品データ
作詞:真樹のり子 作曲:たきのえいじ(1982年度作品・ビクターレコード)