以前両親のことを少し書きましたが、一緒に住み始めて2週間が経ちました。
18年前家を飛び出した主な要因は家庭内暴力。
あまり詳しく書くと生生しくなるので止めておきますが、それはそれは大変な思いでした。
高校2年生まではアルバイト、部活、勉強きちんと両立させて学校からも○文社からも模試統一試験の成績優秀者として表彰されたりもしてたのです
あることがきっかけとなって家を飛び出すことを決意。
あの当時は若さもあり、自分なら何だってやっていける。そう信じていましたが実際は上手くいかないことばかり。朝学校に行かなくてはいけないので必然的に夜働くしかなく睡眠時間は4時間あるかないか。大学受験も当然やりました某医療大学理学療法学科。合格通知が届き入学案内も郵送されてきましたが、ここで自分は大きな過ちに気づく。出て行くとき
「もう二度とあんたらの世話にはならない。二度と関わらないでくれ。」
そういって出てきたのを思い出しました。
やはり18歳になって自立してやっているつもりになっていましたが、ぜんぜん自立出来てなかったように思います。合格したという嬉しさとどこかに(学費くらいは出してくれるだろう。)という甘い考えがあったようです1年間の学費はおおよそ250万4年でほぼ1000万。
自分でもその額の大きさに手が震えたほどでした。
頼みにいった結果は「知らん。自分で全部やるんでしょ?今さら家に泣きつくなんてどうたらこうたら・・・・」
当然、相当こっちも必死に食い下がる。話も何時間にも及び最後は手を付き額を床につけて最後の必死の頼みもむなしく「何を言ったところで、出て行くとき自分が言った言葉には責任もとうな?。」
一蹴されて話は終わり。帰り道「結局金か・・・」そうポツリとつぶやいてました。
それから18年。思い出せば悔しいことばかり。だけどそんな親でも「親は親」
何かあった時のために連絡先だけは母親に教えていたのですが
父親の手術費用と祖母の入院費を捻出するために結婚式の資金を食いつぶされ
行くあてが無くなったといって受け入れたら大事な人を失い
それでも思いました。(人として間違った選択じゃなかった。)この言葉が自分を救ってくれた気がします。
「我省みて縮からずんば褐寛博といえども我怖れざらんや 我省みて縮かれば千万人といへども我行かん。」
意味は:自分を省みて恥ずかしいと思うところがあれば相手がどのような身分の人間であっても自分は怖れるだろう。自分を省みて恥ずかしいところがないならば例え万人が相手であっても我は行く。
毎日父親の世話をしながら色んな思いが浮かんでは消えを繰り返しますが両親と向き合うことが今後の自分の人生と向き合うことにも繋がるような感じもする今日でした。
長く書いてしまいましたが、最後までお読みいただきありがとうございました!