私の家は壊れてなくて
私の家族は生きていて
私の生活は崩れていない
それでも、あの日を境に変わったものがある
新たに芽生えたものなのか、植え付けられたものなのか、それとも削がれたものなのかは分からない
確かなことは、それは言葉に出来るものではないということ
小さい頃からずっと「やがて大きな地震が来るよ」と言われて育ってきた
その言葉の意味を理解してからは、地震が来るたびに「遂に来たか」と思うようになっていた
だけど幸いな事に、私が大好きだった祖母が教えてくれたような大きな地震は、私の住む場所では起きていない
いつか来る、やがて来るという恐怖と背中合わせでも、今はまだ幸いに包まれている
それでもあの日から、背中合わせの恐怖が一層色濃くなったのは事実だ
予測される地震が起きたときには、「遂に来たか」とすら思えないほど頭の中は真っ白になるんじゃないだろうか
それとも案外、私のことだから冷静に事態を受け止めてしまうのだろうか
あくまで、そこで終わらなかった場合にしか答え合わせは出来ないが
あの日から一年目を迎えた数日前から、メディアは思い出したようになのか、それとも思い出させるようになのか、当時の様子を振り返った番組を放送する
忘れてはいけないことだと分かっている
だけどあの時、途方もない現実を突き付けらた私は、数日にしてテレビの向こう側の惨状を受け止められなくなっていた
少しくらい、テレビが伝える現実から離れて、忘れなければ自分がおかしくなると思った
メディアは全てを教えてくれるものじゃない
現実の一部を切り取って伝えたり、現実に脚色をして伝えたり、時には現実を捻じ曲げて伝えてくる
どれが本当か、どれを信じたらいいのか、どれを選択すればいいのか
きっと正解なんて無い
どれも正解の一部で、どれも間違いの一部なんだろうと思っている
ただ与えられるだけの情報には、少しもたれてしまう
必要なものだけを取捨選択するにしても、陳列された情報が全て目に、耳に飛び込んでくるのは重い
それでもあの時の自分を振り返らなければいけない気がして、当時日記のように綴ったものを読み返した
地震発生から30分ほど経って綴られたもの
日を改めて真夜中のもの
翌日、そしてまたその翌日
私の家はあるのに、家族は居るのに、私は無事なのに、そこに居た私の日常は確かに壊されていた
異常な現実に放り込まれていた
それまで正常と思っていた思考ができなくなっていた事を窺わせる言葉もあった
つまりは、私そのものの思考回路が非常時対応になっていた
「日常がそこにあることで気が紛れる。安心できる」と書いてあったが、そこにある「日常」は既に「それまでと何一つ変わらない日常」では無かった
当時、最も気を紛らしてくれたのは、皮肉にも仕事だった
今も余震が続いている
忘れた頃に大きく揺れる
いつか来るよと言われている、大きな地震に怯えながら、余震にも肝を冷やす
ともだちもつぶやいている
揺れるたびにつぶやいている
つぶやくことで吐き出して、少しでも自分の中にある恐怖を外に追い出そうとしているように感じる
目に見える被害が無い場所でも、無い人でも、あの日を境に変わってしまったものが確かにある
それを全て忘れずに抱えていくのは重すぎる
だからと言って全てを忘れてしまうことも出来ない
こうして人は忘れたり、思い出したりすることで、自分に折り合いをつけているのだろう
あの日、大きな力の影響が及んだのは、目に見えたり安易に言葉に出来たりするものばかりではなかった
底知れない力は、みんなの心の中にも間違いなく爪痕を残した
その現実を受け止めても、平穏な「日常」を送れる私たちは「日常」を受け入れなければならない
いつ来るか、いつ来るかと恐怖を覚えながらも、「日常」を守っていかなければならない
それがあの日、家も家族も自分自身の生活も守られた私たちの、しなければいけない一つの使命のようにも感じられた