前回の記事が長かったので分割しました。
続きです。


3/19   20時


我が家はインドのテレビは映らないので、私は必死でリアルタイムで更新されるネットニュースを追いました。

モディ首相はヒンドゥー語で話しているので、英訳されるまでに若干のタイムラグが。
チェンナイはタミル語なんだけど、みんなヒンドゥー語わかるのかな?



結果は、コロナに対する危機意識を高める呼びかけと、次の日曜日を1日外出禁止とする ということでした。


ただ、英訳ではこの1日の外出禁止について「test」という言葉を使っていて


私はこのtestという言葉が気になりました。






さて、そこから夫婦会議です。




意見は割れました。



夫は航空券をおさえたものの、
「この内容ならまだ留まってもいいんじゃないか。国際線禁止も1週間と言ってるし。」


「1週間後に解禁されると思えない。
インドが解禁したとしても、ANAのように航空会社側が運休を決めるかも。

モディ首相は「test」と言っていたよ(実際ヒンドゥー語でどんなニュアンスだったかはわからないけれど。)
何のテストなんだろう?」



夫は当然
家族と離れるのも
この状況で1人置いてけぼりをくらうのも嫌。




私も、それまでに帰国を考えるタイミングはあったけれど

「夫も嫌がっているし、なんだかんだとチェンナイ で踏ん張っていくんだろうな」と思っていました。



でも、その数日の間の
日々 規制が強まっていく状況は 
どんどん逃げ場のない道角に追い詰められていくような恐怖があり



そんなジェットコースターのような毎日に
私はちょっと疲れてきていて





夫が航空券を予約するという電話があった時点で

私の心は半分決まっていました。



私よりもずっと状況を冷静に見ることのできる夫の中で、
一度でも危険フラグが立ったことは

私にとっては十分な帰国の判断ポイントでした。





そして 話しあいの末、夫も
「帰るべきなんだろうな…」と。





そして48時間後に出国することが決まりました。












翌日



その日は、お友達の家にお呼ばれしていました。

何家族か集まり、子供たちがワイワイと遊んでいる中

帰国することに決めた という話をしました。




その時点で、うち以外に出国を決めた人はおらず


楽しく友達と遊んでいる子供たちを見て
この半年で打ち解けたママさんたちを前にして

優柔不断な私は早くも心の中で 
自分の決断への疑念と後悔が生まれていましたタラー




たった半年だけど支えあってきて
すごく大切な存在となっているこの人たちが残っているなら
私も頑張れるんじゃないんだろうか。



私は、あんなに家族でいることを大事に思って帯同したはずなのに
いつ戻れるかわからないのに 
帰国してしまっていいんだろうか…


気持ちが負けてしまった 
という悔しさもありました。




「じゃぁ気をつけてね」とお互い言い合うとき
すごく辛くて

帰るのが難しい状況の人もいて

心配なのと、
一緒にがんばれなくてごめん って気持ちと

いつ再会できるかわからない不安と




複雑な思いでお友達のお家を後にしました。




帰りの車の中で、娘にようやく
「明日 日本に帰るよ」と話す。
お友達に「日本に帰るんだー」という話をしてしまって惑わせてはいけないので、それまで黙っていました。




娘は うん とは言ったものの、
父が一緒ではないことがわかると案の定


「お父さんと一緒がいいー!えー?




もう、帰国をやめてしまったら楽だなーと思いました 笑





もう少し続きます。