今回はちょっと変わったアプローチになります。


銘柄を考える時に、全く異なったものを同じ土俵で考えると、面白い発想が出ることがあります。


たとえばの例をあげます。


ルイ・ヴィトンといえばブランドのキング。


でも、ルイ・ヴィトンと聞いて、株を思い浮かべる人はほとんどいないでしょう。


ところが、ルイ・ヴィトンは株としてもすごいのです。


日本を代表する任天堂やトヨタと同レベルの利益を上げているのです。


こんな風に全く違うものを同じ土俵で比べる癖がつくと、面白い見方ができるようになります。


詳細はこちら。


http://blandkomono.blog.so-net.ne.jp/2011-06-09

MPT に対する実務者からの反論



前回、1980年代末のわが国株式市場におけるバブル崩壊によって、MPT(モダン・ポートフォリオ・セオリー)が一躍脚光を浴びたことを述べました。


MPTの骨格は市場の効率性であり、表面上は人為的運用、チャート、企業分析の否定となります。



ただし、MPTは投資の世界に科学を持ち込んだものですが、科学だからと言って、一度証明されたら絶対かというと、必ずしもそうではありません。


たとえば、学術世界からのアプローチを実務の世界から見ると、前提条件自体に実態と乖離が大きすぎるものがあったりします。


現実には実務家からばかりではなく、その後学術的にもMPTに対する反証例が多く出ました。



学術的な反証としては、「効率的市場仮説」の今日的・批判的検証への視角を参考にしてください。



参照URLhttp://www013.upp.so-net.ne.jp/sigeru/ronbun13.htm


アナリストからの反論


前提条件自体がおかしいという点を、アナリスト業務を例に挙げてみます。



企業が公開した情報、データを用いて分析を行っても、いかなる超過リターンも得られないというのがMPTの主張です。


それが、なぜかアナリスト業務の否定とされています。しかし、アナリストの立場からすると、この議論自体が全くナンセンスに見えるのです。


つまり、もともと過去データの分析で、将来の業績がわかるのであれば、アナリストは要らないのであって、コンピュータで十分となります。アナリストの業務はいまだ見えない将来をいかに予想するかなのです。



なぜ、学術の世界の人々が、考え違いをするかというと、財務諸表分析の教科書のあり方からもわかります。


財務諸表分析には財務の安定度などを見る部分や将来業績を予想する部分があります。そして、将来の売上を予想するのに、便宜上過去のトレンドを延長するような手法を用います。


それは、教科書であるので仕方がないのですが、実際にアナリストが予想する場合は、過去を分析した上で、業界内の優劣や経営者の力量、経済情勢などの見通しとつき合わせて、業績を予想します。



よって、アナリストから言わせれば、MPTで言う、公表データからはいかなる超過リターンも得られないというのは、証明したぞと胸を張られても、そんなもん最初からわかって仕事をしているぞという程度の話なのです。


結局、たぶん初めのほうに、学術的なロジックを一般の証券界の人間にわかるように表現した人が、過去データからはなんら超過リターンは得られないという準強度の効率性仮説は、本当だとすればアナリスト業務を否定すると書いてしまったのでしょう。


しかし、そのことを真剣に検証しても重要なことの証明にはならないため、ほとんどの人がそのまま使い回しているとしか考えられません。



上の引用例でも、MPTの主張として「準強度の効率性が実証されれば、ファンダメンタル分析は無意味であり、証券アナリストの存在価値はなくなる」としていますが、どう考えてもスタートがおかしいのです。


何十年経ってもこの文章を変えようという人がいないのは不思議すぎることである。



チャーチストからの反論



ついでに、チャーチストからの見方というものも代弁しておきます。私は多くのチャーチストと接してきて、過去の株価が将来の株価を予想しないということは、大半のチャーチストが認識しているように思われるのです。


その点に関しては、チャーチストもアナリストとほぼ同じ立場にあります。実際問題、先行きの上昇を示唆するチャートを持ってきても、その後に上昇する確率は五分五分なのです。



それでは、チャートを見る意味は何かということになります。


ひとつの意義は、スクリーニングの指標としてチャートを用いているということです。つまり、チャートによるスクリーニングはPERPBRによるスクリーニングと同程度の意味合いなのです。


数千銘柄の上場企業から、上がりそうな銘柄を探すときに、その後に大きく上昇する傾向のあるチャートパターンの銘柄に絞り込むのです。


その中から、その他の条件、つまりそのときの市場環境に合わせて、流動性が高い銘柄か、低い銘柄か、知名度のある銘柄か、ない銘柄か、インデックス銘柄がいいのか、そうでない銘柄がいいかということを見極める必要があります。

 


このようなことを、チャーチスト自らは「チャートは科学ではなく、アートである」と表現しています。アートゆえ、センスのある人とない人で差が出ます。


つまり、彼らチャーチストもアナリスト同様、過去のデータだけで、将来の株価がわかるとは考えていないのではないかと思われるのです。



以上が、実務者の立場から見たMPTの修正的な見方になります。



しかし、このアナリストとチャーチストの立場は、1990年を境に逆の道をたどります。


つまり、それまであまり尊重されているとは言えなかったアナリストが、ランキング制度の発足と同時に脚光を浴びるようになりました。


一方、どこの証券会社にもいたチャーチストは、いつの間にか機関投資家を主要顧客とする部署からは姿を消してました。ただし、厳密に言えば、ストラテジストや市場アナリストに姿を変えたのでして、個別銘柄についてコメントするチャーチストがいなくなったということでしょう。


















バブル崩壊で投資手法に大変化

前回は、投資のプロの世界で活躍するさまざまな職種について述べましたが、かつてと比較していわゆるチャーチストの活躍余地は狭まっているような気がします。


以前は証券会社の調査関連部署には、個別銘柄を分析するチャーチストが必ずいたものですが、近頃は純粋なチャーチストの姿をあまり見かけなくなりました。


私自身最近改めて気づいたことですが、このことは意外と深い意味があるのではないかと思われます。本章ではこの点について考えてみたいと思います。


MPT(モダン・ポートフォリオ・セオリー)の登場


日本の証券市場が大きく変化したきっかけとなった現象として、一番目に挙げられるのが、1980年代後半のバブルと1990年代のバブル崩壊です。


戦後の日本の株式市場は、第1回で解説したような株式の理論が通用しにくい市場でした。


欧米の主要株式市場のPER10倍程度であった時代に、日本だけは常に30-40倍で評価される時代が継続していました。

(注).PERとは・・・PERとは株価が利益の何倍に買われているか示す指標。通常、税引き利益を発行済み株式数で割って、株価と比較して計算する。一般的にPERと表現する場合、予想PERであって、分母には当期予想純利益を用いる。



しばしば戦後の日本の経済成長は、人類史上、後にも先にもないような高く、継続的な成長であり、そのことでバリュエーションの高さが説明されてきました。そのような成長率の高い国に属する企業の将来に対する期待は高く、PERは高くて当然であると言われることもありました。

しかし、1990年代にバブルがはじけたことによって、それまで当然と思われていたこと自体が異常であって、そこから正しい市場原理にのっとった市場に変わるのだという議論が支配するようになって行きます。



そこで脚光を浴び始めた理論がMPT(モダン・ポートフォリオ・セオリー:現代投資理論)という考え方でした。



もちろん、MPTはそれ以前から日本でも学者を中心に研究する人がいましたが、株式市場の水準が理論的価値より圧倒的に高いところにあったため、机上の空論という位置づけにありました。



しかし、バブルの崩壊によって、機関投資家が手痛い目にあい、それまでのようなバイ&ホールドが最も高いリターンをもたらした時代(市場が右肩上がりであれば、株は売り買いするより、ずっと持っておくほうが高いリターンが得られるということ)が過ぎ去ると、MPTがにわかに脚光を浴びるようになりました。


MPTからのアプローチでは、戦後日本の間接金融優位の時代には持合いが横行しており、それが株価に異常なプレミアムをつけていたと解釈されるのです。

このような状態は、株価が右肩上がりで上昇するうちは、参加者の多くがハッピーであり、たとえ理屈の上ではおかしなことであったとしても、疑問を差し挟む余地がなかったのです。



しかし、一度そのバブルがはじけると、砂上の楼閣に胡坐をかいていた人々が糾弾されることになりました。


つまり、持合いを行っていた銀行、企業、年金を運用していた金融機関、個人のお金を運用していた投資信託などです。


なにせ、それまではむしろ向こう見ずなくらいのほうが、最後は運用成績が良いくらいでしたから。


MPTが説く市場の効率性

しかし、バブルがはじけると、運用側にも預託者に説明できるだけの理論構築が必要となり、その役割を担ったものがMPTでした。


ここでMPT理論を厳密に論じても90%以上の人がついて来られないと思うので、10%以下に相当すると思う人は上のリンクを見てもらいたい。ここでは、その中から特徴的なことだけを述べることにします。


MPTはやや純粋理論的な面が強く、それまでの日本における株式市場の参加者の考え方とは大きく異なるものであり、当初は戸惑う部分も多かったと思われます。


しかし、現実問題として機関投資家の運用成績が極めて悪化したため、運用者もなかなか反論できる状態ではありませんでした。まさに、1980年代までとは180度の方向転換と言えましょう。

MPTのひとつの典型的な主張は、市場は常に効率的であり、人為的に運用しても市場には勝てないというものです。


その理論を元にすると、インデックスファンドこそリスク調整後で最も効率的なポートフォリオとなります。これによって、それまでは必ずしも主役ではなかったインデックスファンドが全盛となりました。

人為的運用が市場に勝てない証拠として、しばしば分析対象となったのが、日本における投資信託の過去の実績です。大多数の投資信託がインデックスに負けていることが、市場の効率性の証明に用いられました。

市場が効率的であることの別の面からのアプローチが、効率的市場仮説でした。これには弱度、準強度、強度とあります。

弱度の効率性とは、過去の価格と将来の価格にはまったく関係がないというもので、これはチャートの全面否定になります。


準強度では公の企業情報からは、将来の株価は予測できないというもので、アナリスト業務の否定になります。


強度の効率性とは、インサイダー情報を使っても、リターンは得られないというものです。


当時、このような証明が積み上がっていたこともあり、それぞれの職種の人々がそれぞれに大変なことになったという思いを抱いていたと思います。

効率的市場仮説についてもっと詳しく知りたい人は、下のURLを参考にしてください。


参照URLhttp://www1.tcue.ac.jp/home1/abek/htdocs/emh.html