ストーリーは1960年代のあるカソリック教会とその付属小学校で起きた出来事。
メリル・ストリープ演じる厳格でお堅い校長と、神父にしては人間味溢れるフィリップ・シーモア・ホフマン演じるフリン神父。そして新米の、絵に描いたように純粋なシスター(エイミー・アダムス)。
校長は自分とは相反する性格の神父に対し決して良い感情は持っていない。彼女は真面目で厳しく、生徒や同僚から恐れられている。
対する神父は何事にも寛容で気さくな性格で生徒や同僚たちから慕われている。
ある日、新米のシスターは自分のクラスの生徒である黒人少年と神父との関係に疑いを持ち、それを校長に話したことから予想外の事件に発展していく。
が、肝心の神父と少年の間に本当は何があったか、と言う真実はラストまでうやむやなまま・・・
タイトルのダウト(疑い)は重要なキーワードで劇中でも何度か出てくる。冒頭の神父の説教のテーマもダウトだった。
黒人少年が同性愛の傾向があるらしい、と言うのは彼の母親の証言でわかったことだが、意味深なシーンはありながら神父が同性愛者であるとか、少年との関係を決定付けるシーンはなかった。
校長は厳格と規律を重んじながら、身内をかばう思いから学校側に嘘の報告をしたり、生徒から没収した
トランジスタラジオをこっそり聞いたり、あげくは神父の以前の職場である教会の関係者に連絡を取ったと嘘の証言をでっちあげたりと聖職者としても人間としてもどうかと思うようなシーンがたびたび出てくる。
校長は以前から神父に対して良い感情は抱いていなかったし、彼によって今まで築いてきた自分の地位を脅かされたり、学校が変わってしまうことを恐れていたのではないか。そういった事情から何がなんでも彼を自分の視野から消してしまいたくてシスターの報告をチャンスとばかりに利用したのではないか。
何より疑いだけで証拠もないのに少年を誘惑したと決め付け退職に追い込もうとする行動はどうかと思う。
肝心の少年が神父に何かされたと訴えたならともかく(それでも少年が何らかの理由で嘘を言ってる場合もあるだろう)、本当に自分の独断と偏見での決めつけとしか言いようがない。
ラストに神父が教会を去った後、校長がシスターとの会話で泣き崩れ初めて弱さをさらけ出したのも意味不明だったが、あれが彼女にとって人生で始めての告解だったのだろうか?
26日はアフタークリスマスセールということで、LAから車で北へ1時間ほどのCamarilloという町にあるアウトレットモールへ行ってきた


落ち着いたところで何とか一枚ぱちり




(嫌がってるのでお耳が垂れてる)
メリークリスマス










実はチキンは元々好きじゃないし、ターキーなんてもっとダメ