三上陽永☆みなさまアザース! -22ページ目

青森で芸能にふれる 前編

青森は芸術の町


数々の著名な芸術家達を輩出してきたのだが…


実家でありながら、役者をやっていながら、あまり地元の芸術に目を向けてこなかった


そんな俺も


最近地元の芸術に興味を持ち、実家に帰る度にふれるようにしている…


前回は、寺山修司記念館へ行き…(寺山修司さんは、俺の高校の先輩でもある)


太宰治の斜陽館にも行ってきた


棟方志功の博物館も行ったな。。。


そして、今回は…


青森ラジオでお世話になっているプロデューサーの夏目さんに


「陽永、青森の芸能のレジェンドに会ってみる?」


と、言われ…


甚太古というお店に連れて行ってもらった
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青森のレジェンド…?


こちらのお店の女将さんらしい


お店に入ると着物を着た綺麗な方(年齢60代といったところだろうか)が出迎えてくれた


実は1軒目の居酒屋で、渡辺源四郎商店の三上ハルカ(ロボむつで共演した)と、夏目さんと青森の芸能について語っていたら、夏目さんがいきなり「陽永、青森の芸能のレジェンドに会ってみる?」と言い出し…


甚太古に電話したのだ


店はもう閉店だったらしく、お客さんは誰もいない…


お座敷の店内にはいろいろな写真や絵が飾られていた
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高橋竹山…あ、高橋竹山!津軽三味線の!


青森が誇る津軽三味線の名人である高橋竹山のギャラリーであった


僕らを迎えてくれた女将さんは西川洋子さん


あまり弟子をとらない事で有名な高橋竹山のお弟子さんであった


後になって夏目さんから聞いたのだが、二代目竹山の名を襲名してもおかしくない方だとか



もう…夏目さんは本当サプライズ好き╮(•́ω•̀)╭


誰に会わせるとか前情報なしでいきなり連れていく


「レジェンドをみたい?」の一言だけで…


面白い。。。


洋子さんは閉店しているにもかかわらず僕らを快く迎え入れてくれた


「この子達、役者やってるからさ、洋子さんに会わせたくて」と、夏目さん



「そうなの。いいよ、おいで」


と座敷に招いてくれると


「何が聴きたい?」


といきなり津軽三味線を取り出した


演奏はいきなり始まった



お店を一緒に経営している旦那さんを呼び、旦那さんが歌う


洋子さんの津軽三味線は、三味線がよくわからない俺でも、引き込まれるものだった
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凛としていて…でも優しい演奏


三味線を弾きながら洋子さんはいろいろ語ってくれた


竹山さんとの思い出や



津軽三味線のルーツ…


昔、津軽三味線は生活費を稼ぐための道具であった


師である竹山は、視力がほぼ無い


そんな彼が生きていくために選んだ仕事が三味線弾きであった


だから、津軽三味線は生きていくために必要なものであったのだ


昔の三味線の弦は今とは違い絹でできていたらしく、とても切れやすいものであった


弦を買う金もない当時は、とにかく絹の弦が切れないような弾き方を工夫したらしい


弦が切れたら死活問題なのだ


だから、今のような丈夫な弦を、バチで叩きつけるような弾き方はしなかったようだ


とにかく楽器を大切に大切に使い


その日の生活費を稼ぐ


まさに、『芸』で生きていく


そんな昔の話を洋子さんは、女優顔負けの語りで語っていく


実に聞きやすく、心地よい語りであった


そしてまた、この昔話がどうも昔話のようには思えなかった


『芸』だけで生きていく難しさと、覚悟の違いをまざまざと見せつけられた気がしたのだ


…俺は、芸で生きていけるのだろうか?果たしてその覚悟があるのだろうか…


知らず知らずのうちに、表情が強張っていたのだろうか


そんな俺を見て洋子さんは


「焦らなくていいのよ」


と、優しく諭してくれた。


本当にいい時間を過ごした


まさに青森の芸能のレジェンドにふれた気がした



何故洋子さんは竹山二代目を襲名しなかったのか…


洋子さんは、私にはその器がないと仰っていたが


きっと、思うところがあったのだろう。。。
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これから青森は、短い夏を迎える


ねぶたの季節だ


もし青森観光を考えている方がいたら、是非甚太古へ行ってみるといい


高橋竹山への愛情が溢れたお店が迎えてくれる

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そして洋子さんの津軽三味線が聴けるのだ


オススメである


あぁ~夏目さんのおかげでいい経験ができたな~なんて思っていると、またまた夏目さんから情報が届く


青森の合浦公園(海に面した公園)で、全国で野外劇のツアーをおこなっている楽市楽座という劇団の公演があるらしい


これは、青森の芸能というわけではないが…


行かなくては(ง •̀_•́)ง‼



という事で、次回、陽永・楽市楽座へ行くの巻



参考資料

明治43年(1910)6月、青森県東津軽郡中平内村(現・平内町)字小湊で生まれる。 
本名定蔵。
幼いころ麻疹をこじらせ半ば失明する。
近在のボサマから三味線と唄を習って東北近県を門付けして歩いた。
昭和19年(1944)、青森県立八戸盲唖学校に入学し、鍼灸・マッサージの免状を取得。
戦後は「津軽民謡の神様」と言われた成田雲竹の伴奏者として各地を興行、竹山を名乗る。
この間、「りんご節」「鰺ヶ沢甚句」「十三の砂山」等、数々の津軽民謡を新たに三味線曲として編曲した。
昭和39年に独立、津軽三味線の独奏という芸域を切り開き、全国に竹山ブームを巻き起こす。 
昭和50年、第9回吉川英治文化賞、第12回点字毎日文化賞を受賞。
昭和58年には勲四等瑞宝章を受ける。
平成10年(1998)2月5日、喉頭ガンのため死去。
戒名「風雪院調絃竹山居士」。